自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【159冊目】松下圭一「社会教育の終焉」

社会教育の終焉

社会教育の終焉

社会教育(今では「生涯学習」という概念に置きかえられているが、その意味するところは事実上ほとんど同じとされる)とは、未成年者を対象とする基礎教育に対して、成人を対象とした教育全般をさす。本書は、社会教育という概念自体を厳しく批判し、文字通りその「終焉」を説くものである。

なぜ社会教育はいけないか。その理由を著者は、自立した市民である成人に対して「オカミ」である行政が「教育」あるいは「指導」などという一方通行の立場に立つ点であるという。なぜなら、都市型社会が形成され、市民による高度に専門化し、自立した活動が行われる昨今、すでに市民の水準は行政職員のそれを追い抜いているのであって、これを行政が「教育」するという発想自体がナンセンスなのである。

この「都市型社会」における「自立した市民像」を前提とした「シビル・ミニマム」による行政運営こそ、松下圭一氏が一貫して主張してきているところであり、本書はその理論を「社会教育」という一点に絞って投射しつつ、その射程を文化行政全般のあり方にまで広げるものとなっている。なぜなら、社会教育という「教育」モデルによる行政と市民の関係が無意味となっている状況下においてこそ、市民の自立性を前提とした自治体独自の文化行政の確立が求められているからであり、市民参加のもとでの「文化戦略」のあり方が問われているからである。

本書が20年以上前に書かれたことを考えると、その先見性にはうならされるものがある。NPOの隆盛、住民と行政との対等な立場による「協働」理論の進展はまさに本書が指し示す方向であり、文化行政を首長部局に移管して独自の文化戦略を展開する自治体も増えつつあるところである。しかし、一方では今もって、行政部局の多くに「○○指導係」などという名称が付され、住民を指導するという戦前型の発想の残滓が残っているし、非対等型の「教育的」講座や事業もなくなってはいない。なお、個人的には、「市民」という概念を無批判的に導入することには違和感もあるが、住民を行政が「教育」「指導」するという発想は傲慢そのものであり、一刻も早く脱却すべき悪弊であると考えているところである。社会教育関連部署の職員、文化行政に携わる職員必読。