自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【9冊目】井上靖「本覚坊遺文」

本覚坊遺文 (講談社文庫)

本覚坊遺文 (講談社文庫)

千利休の死後、弟子である本覚坊が残した手記を小説化したという設定の小説で、主に本覚坊と利休を知る茶人等との対話や、本覚坊の利休への想念が淡々と綴られている。

中心になっているのは、利休が太閤秀吉からの死を甘受したことへの問いかけである。 利休死後の話であるから、利休自身は回想の中にしか出てこない。にもかかわらず、作者によって描かれた「利休」というひとの存在感は他の生者たちと比べ圧倒的であり、同時に「茶」という道の深さも息を呑むものがある。

私は茶道とはぜんぜん縁がなく、基本的なことすらほとんど知らないが、つねに死と隣り合わせである乱世において「茶」が持つ意味がとてつもなく大きく、深いものであることは感じられた。

ストーリーといえるほどの動きもなく、派手な場面もまったくない中で、これだけの深みと凄みを出せる井上靖という作家の力量はやはり並ではない。また、情景や道具類の描写は実にこまやかであり、すみずみまで神経が行き届いている。いわば水墨画の味わいであり、できればどこか山奥にでも行った折に腰を落ち着けてゆっくり読みたい本である。

なお利休の弟子に本覚坊という茶人がいたのは事実らしいが、この手記自体は作者の独創であるとのこと。しかし、やはり当時の手記を読み解く気持ちで読み進めたほうが、より小説の世界に入り込めるものと思われる。