自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2736冊目】朝井リョウ『何者』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン58冊目。


話題の多い作家さんですが、読むのは本書が2冊目です。最初に読んだ『世界地図の下書き』は児童養護施設を舞台にしたすがすがしい作品でしたが、さて、本書はどうでしょうか。


就活に臨む大学生たちが登場人物です。はるか昔のこととはいえ、不安と焦りのなかでもがく就活生たちの姿に、かつての自分自身が重なり、なんとも懐かしく読み終えました。自分が何者なのか、何になろうとしているのか、手を替え品を替え、理不尽なまでに問われ続ける日々。友達に内定が出たと聞いて感じる、どこか素直に祝えない感情。ああ、就活とはなんなのでしょうね。


ただ、私の頃と違うのは、SNSの存在ですね。「就活する自分」と「ツイッターの中の自分」の二重性が、本書のもうひとつのテーマになっています。飲み会の最中にその様子をツイートする感覚は私にはよくわかりませんが、お互いそういうものであるなら、それもアリかな、と思います。


本書を読んで、著者は芝居をやってた人なのかな、と感じました。失礼ながらプロフィールは全然知りませんが、会話のリズムや組み立てとか場面の作り方が、どこか演劇的なんですよね。思っていることを全部言ってしまうような場面が多いのも芝居っぽいし、さらに言えば日本のテレビドラマっぽい。良くも悪くも、とにかく全部しゃべっちゃうんです。


でも、それがあまり押し付けがましくないのは、著者自身が切実に考え、感じてきたことだけを書いているからではないかと思います。だからかなり厳しいことを言っていても、それがストレートに読み手の心に響くのではないでしょうか。


いやいや、こんなふうに「観察者」っぽくモノを言っていると、だからお前はダメなんだ、とブーメランが飛んできそうですね。本書はそういう、読み手自身が問われ続ける小説でもあります。直木賞受賞作、納得です。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【2735冊目】森下典子『日日是好日』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン57冊目。ちなみに前回、前々回に続き、こちらも映画化された作品です。なんという偶然。


とはいえ、本書は小説ではなくエッセイです。著者がお茶を学びはじめてから25年にわたる、悪戦苦闘と気づきの日々が、みずみずしく描かれています。


私自身はお茶を学んだことがありません。なので、本書で説明されている作法の細かさには驚きました。茶室に入る時は左足から、敷居と畳のへりは踏まず、畳一帖は6歩で歩く。お湯を汲む時は釜の底、水の時は真ん中から・・・・・・。こんなのはまだまだ序の口。しかも、それを頭で覚えるのではなく、「手が勝手に動くようになる」まで繰り返すことが必要なのです。


意味も理由も教えられず「ただ繰り返せ」と言われた著者は、反発しながらも稽古を重ねます。そして何年も経ったある日、突然に気づくのです。作法は不自由なのではなく、私たちを自由に解き放つものであることを。私たちの人生とは「長い目で、今この時を生きる」ものであることを。そして、それは言葉で伝えることなどできず、ただ日々の営みに真摯に向き合うことで、自ら気づくものであることを。一見煩瑣に見える「お茶」の稽古は、そうした気づきを得るためのものであったのです。


本書は読みやすいエッセイですが、言わんとしていることはおそろしく深いものです。というか、体験を通して感じ取るしかないことを、著者はあえて、文字にして伝えてくれているのです。もっとも、文字を読んでも、その意味するところは本当はわからないのでしょう。禅では、それを不立文字と言いますね。いやはや、見事、見事。けっこうなお手前でございました。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【2734冊目】司馬遼太郎『燃えよ剣』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン56冊目。


先日の『ひらいて』に続き、こちらも映画化とのこと。新潮文庫100冊、そういう選書なんでしょうか。それにしても気がかりなのは、ジャニーズに土方歳三が務まるのか、ということですが。あの厚み、あの迫力は、なまなかな俳優では太刀打ちできないでしょう。


それほどに、本書で土方歳三が放っている存在感は圧倒的です。喧嘩の名手で、組織づくりの天才。学はなく学者肌の男を嫌うが、実はこっそり俳句をひねるという風雅な面ももつという、一筋縄ではいかない人物として描かれています。


佐幕だの勤皇だの、攘夷だの開国だのという理念には興味を持たず、常に地に足をつけ、おのれの生き様に殉じてみせた男でもありました。そんなシンプルで一本筋の通った生き方が、たまらなくカッコいいですね。こんな男が、当時の日本にはいたのです。


新選組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ」


五稜郭の城門を出て、単騎、官軍の本丸に向かうところを長州部隊に見咎められ、平然とこう言い放つシーンは、とりわけシビれました。女性の描き方はイマイチですが、男の生き様と歴史の激動を合わせ鏡にして、ふたつながら描き切った傑作といえましょう。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【2733冊目】綿矢りさ『ひらいて』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン55冊目。


社交的で可愛い少女が、クラスの冴えない男子を好きになるが、彼には恋人がいる。持病があり地味目のその女の子に近づいた主人公の少女は、なんと女の子のほうを誘惑し、身体の関係をもってしまう。


主人公の少女は、なかなかにとんでもない。男の子に勝手に惚れて、机に隠した恋人からの手紙を盗み読み、相手に近づき、なぜかその相手とデキてしまう。なんとも自分勝手だし、むちゃくちゃだ。ふつうに考えたら、共感なんてできなさそうだ。


でも、読んでいると、引き込まれるのである。身勝手な振る舞いに腹が立ちつつ、いつのまにか一緒になって心を波立たせ、焦り、後悔し、怒っている。作者の筆力というしかない。


若くして芥川賞を受賞した女性という点では『推し、燃ゆ。』の宇佐見りんの先輩であるが、宇佐見りんの小説の登場人物が抱えている生来の生きづらさのようなものは、主人公にはあまり感じられない。にもかかわらず、怒涛のような感情の流れが圧倒的な解像度で描かれている点で、ふたりはどこかよく似ている。その感性を遡れば、おそらく太宰治あたりに行き着くのではないだろうか。


とにかく、ものすごい迫力に圧倒されっぱなしの一冊だった。近々映画化されるようですが、この熱量を映像化するのは、生半可な演技では務まりますまい。楽しみのような、怖いような。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【2732冊目】清水潔『殺人犯はそこにいる』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン54冊目。


読んでいて、腹が立って仕方がなかった。拷問まがいの「自白」と間違いだらけの「鑑定」で、一人の人間が有罪となり、死刑となる。そんなことが許されるのか。


許されるのである、この国では。足利事件の菅家氏は著者らの活躍もあって再審無罪となり釈放されたが、九州の「飯塚事件」では、再審を求める声にもかかわらず、死刑が執行されてしまった。この「飯塚事件」では、DNA鑑定のネガフィルムのうち、都合の悪い部分が見えないよう、切り取って証拠提出されていたという。


そして本書では、冤罪が生み出すもうひとつの問題点も指摘する。真犯人が野放しになってしまう、ということだ。足利事件では、半径10キロ以内で連続して起きた5件の幼女誘拐殺人のうち、1件だけが「解決済み」とされ、残り4件は放置されてきた。マスメディアも警察や検察の「大本営発表」を垂れ流し、そのことに目をつぶってきた。彼らもまた、冤罪を生む大きな構造の一部なのだ。


そんな中にあって、著者がなぜ独自の調査報道を貫くことができたのか。それは著者が、警察や検察の発表よりも「小さな声を聞く」ことを心がけてきたからだろう。被害者やその遺族、無実の罪で獄中にいる者の声を。そして、先入観に囚われず、ちょっとした違和感を大切にして、自らの足で調べたことだけを記事や番組にしてきたからなのだ。


だが、それは著者にしかできないことなのだろうか。この国には、第二、第三の清水潔はいないのだろうか。著者の孤軍奮闘ぶりを見ていると、そんなことも心配になってしまう。警察やマスメディアはもうダメだろうけれど、そんな骨太の、在野のジャーナリストがもっとたくさん登場してくれれば、この国ももうちょっとマシになるのではないだろうか。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!