自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2354冊目】『笙野頼子三冠小説集』

 

笙野頼子三冠小説集 (河出文庫)

笙野頼子三冠小説集 (河出文庫)

 

 

収録順でいうと、芥川賞受賞の「タイムスリップ・コンビナート」、三島由紀夫賞受賞の「二百回忌」、野間文芸新人賞受賞の「なにもしてない」の3作品が収められている。なんと、新人に与えられるこの3つの賞を総なめにしたのはこの人だけらしい。

どの作品も、現実と空想がねっとりと絡み合い、どこかにありそうでどこにもない世界に読者を連れていく。まず、じわりと異世界に連れていこうとするような書き出しがいい。

「去年の夏頃の話である。マグロと恋愛する夢を見て悩んでいたある日、当のマグロともスーパージェッターとも判らんやつから、いきなり、電話が掛かって来て、ともかくどこかへ出掛けろとしつこく言い、結局海芝浦という駅に行かされる羽目になった」(タイムスリップ・コンビナート)

 

 

 

「私の父方の家では二百回忌の時、死んだ身内もゆかりの人々も皆蘇ってきて、法事に出る」(二百回忌)

 

 

 

破傷風でもなければ凍傷でもない。ただの接触性湿疹をこじらせた挙句、部屋から出られなくなり妖精を見た」(なにもしてない)

 

出だしは幻想的でもすぐ現実に戻ってしまう小説も多いが、この人の作品はどれも、この世界観が最初から最後までずっと続く。ただし、ガルシア・マルケスばりのマジックリアリズムかと思いきや、湧いて出てくる場所はもっと内面寄りである。むしろ自分と周囲との境界線、接線のあたりから、じわじわと輪郭がぼやけ、何物かが湧いて出ている。

著者の小説は私小説と呼ばれる。だが、ここにある「私」は、一般に言われる意識としての「私」というより、もっと無意識的でどろりとした「私」である。だいたい著者は、たぶんもっとも「自伝的」と思われる小説「なにもしてない」の中で、こんなふうに書いているのだ。

「なんで吟味もせず私小説という言葉を使うんだろう。なんでひらがなとカタカナの区別がつかないんだろう。現実の土地と、日本語で作った言葉の土地の区別をなぜしないのだろう」(p.166)

実はこの先がもっとスゴイのだが、かなり長くなるので引用は割愛。見たことも聞いたことも想像したこともない笙野ワールドが全開の初期傑作集、いや「傑作集」だ。