自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2352冊目】奥野良之助『金沢城のヒキガエル』

 

 

金沢城址に棲むヒキガエルを、9年にわたり調査したという、言ってみればそれだけの本なのだが、これがなんとも素晴らしい科学エッセイになっている。そもそも、こんなのんびりした研究がゆるされていた当時の大学のおおらかさに、まず感動する(とはいえ「あとがき」を読む限り、当時であっても著者の研究方法はかなり独特だったらしいが)。

本書に示されている「発見」は、世の中的にはささいなことばかり。ヒキガエルの一日の移動距離はどれくらいか、とか、ヒキガエルは年間何時間くらい働くか(要するに餌を探している時間なのだが、なんと「年間11日、総労働時間55時間」とのこと)、ヒキガエルの繁殖はどんなふうに行われるか。だが、これが読んでいてとにかく面白い。役に立たないことであっても、知らなかったことを知ることの楽しさが、純粋に味わえる。

例えば繁殖では、オスは相手がオスだろうがメスだろうがとりあえず「乗っかる」のだそうだ。ところが、オスは「リリース・コール」と呼ばれる泣き声を出せるので、その声を聞くと乗っかったオスが離れる。もっとも、ときどきリリース・コールが出せない「オネエ」のオスもいるらしい。さらに、ヒキガエルは子ガエルがいると交尾しないというが、これも(夫婦の「行為」を子どもの前では見せない、ということじゃなく)オスが誤って子ガエルに乗っかってしまうのを防ぐためであるらしい。子ガエルはリリース・コールを出せないのだ。あ、ちなみに「子ガエル」とはオタマジャクシのことじゃなくて、成体になって間もない小さなヒキガエルのことである。

また、子ガエルはふらふらといろんなところに移動するが、「大人」になったカエルは一定の範囲から出なくなる(定住する、と著者は言う)。ところが、中には大人になっても定住せずふらふらと歩きまわる寅さんみたいなカエルもいるという。そのことについて、著者はこんなふうに書くのである。

「大多数のカエルは定住している。定住がヒキガエルの習性であることに間違いはない。ただ、そうかと言って、放浪して歩く彼ら、彼女らを「非ヒキガエル」だとは考えないでいただきたい。世間一般の常識から見ると少々変わっているかも知れないが、それなりのユニークさを持ったヒキガエルであることにちがいはないのだから」(p.213)

 

 

著者は、ヒキガエル一般の習性を探りつつも、そこから外れている「変わり者」にも常に温かい目を注ぐ。その一方で、人間に対しても「競争原理」「優勝劣敗」を押しつける社会進化論的な考え方を厳しく批判するのである。進化論は人間が進化の頂点であり、「高等」な存在と捉えている、とされている。だが、著者はヒキガエルののんびりした社会を眺めながらこう言うのである。

「魚やサルはけんかする。そのけんか自体どういう意味があるのだろう。ほとんど無意味ではないか。無意味なけんかをやり、それを少なくして群れを維持・統制するよりも、初めからけんかせずに、しかも集団のまとまりを維持しているヒキガエルの集団のほうが、よほど「高等」な社会ではあるまいか」(p.257)

 

 

こうして本書は、単なるのんびりしたエソロジー・エッセイでありながら、急に警世の書に変化するのである。だが、私が感じた本書の醍醐味は、こうしたイソップ物語ふうの社会批判より、9年間、1526匹のヒキガエルを調査し続けた著者の、どこか突き抜けたユーモアをもつ「研究仙人」ぶりにある。だいたい、本書のような本が平凡社ライブラリーから再版されること自体、この世の中が競争原理だけではできあがっていない証拠ではないだろうか。