【2331冊目】工藤美代子『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』

 

 

 

誰かが亡くなる前に集まってくる人々。正月の夜中に路上でまりをつく子ども。誰も触っていないのに回り始める換気扇。父の亡くなった日に見た赤い人魂。人を呪い殺す力を持つ黒魔術。親の月命日に一度だけリンと鳴る電話……。

見える人には見え、聞こえる人には聞こえるらしい。でも、誰もそんなことを、大真面目に取り上げてはこなかった。実際に「見聞き」できる人も、おかしくなったんじゃないかと思われるのが嫌で、人にはあまり言ってこなかった。でも、説明できないからといって、非科学的に見えるからといって、それが「ない」ことにはならない。

「かつて『怪談』を小泉八雲が書いた時代は、自分が遭遇した奇怪な体験を人々は平気で口にした。それを笑う人も馬鹿にする人もいなかった。
 ところが現代では、そうした話をすると、いかにも無学で無教養な人間のように見られる。だからみんな話さないようになったが、実は私が考えているより、はるかに多くの人が、この世にあって、あの世の人を見かけたり、喋ったり、写真に撮ったりしているのではないだろうか」(p.206)

このように書く著者はむろん「見える人」である。だが、著者はそのことを誇ることも、あるいは卑下することもなく、淡々と「見えたもの」「聞こえたもの」を綴っていく。ここに書かれているのは、科学でも非科学でもない、オカルトでもなければ合理主義でもない、しいて言えば「ノンフィクション」そのものだ。それをどう受け取るかは読者次第、でも私はそういう体験をしたのですよ、という、静かで力強いメッセージが、本書の底には波打っている。

そして、大げさな主張がないぶん、かえって「見えないもう一つの世界」がこの世には存在することが、本書を読むと確信できる。それは浅薄なオカルティズムではない。世界そのものとの向き合い方の根本的な変更なのである。