【2300冊目】渡辺一史『なぜ人と人は支え合うのか』

 

 

映画化もされた名著『こんな夜更けにバナナかよ』の著者が15年ぶりに、障害や福祉、そして社会のあり方を世に問う一冊。タイトルは前著と比べるとあまり面白くないが、内容は相模原の事件に始まり、『こんな夜更けに・・・』で出会った鹿野さんのことから障害の医学モデルと社会モデル、「障害」「障がい」といった表記の問題まで幅広い。幅広いわりに著者の視点がブレていないのは、やはり鹿野さんと関わった日々が、著者のバックボーンになっているのだろう。

 

全体を通じて感じたのは、「健常者から障害者」ではなく「障害者から健常者」への目線の転換だ。例えば先ほどの鹿野さんの妹で、重度の知的障害のある美和さんとの気持ちの交流について。言葉を発することもなく、一般には意思疎通さえできない美和さんだが、それでも気持ちが通じ、こちらの存在を認めてくれたと感じた瞬間があった。それは「私が彼らの存在価値を認めるのではなく、彼らが、私を認めてくれる」(p.80)のだという。

 

海老原宏美さんという方の言葉も印象的だった。相模原障害者殺傷事件の植松被告は、重度障害者の生きる価値を否定するような発言を繰り返した。だが海老原さんは、富士山や屋久杉に対して私たちが感じる価値を引き合いに出しながら、こう言ってのけるのだ。「障害者に『価値があるか、ないか』ということではなく、『価値がない』と思う人のほうに、『価値を見いだす能力がない』だけじゃないかって私は思うんです」(p.206)

 

問われているのは健常者なのだ。むしろ「障害者とは、問いかける人なのだ」と言ってもよいかもしれない。たとえ自らは主張していなくても、彼らは存在するだけで、周囲の人の人間観や生命観、社会や国家に対して、根源的に何かを問いかけていると思うのだ。障害の社会モデルとは、そのことを端的に表現したと言えるかもしれない。もちろんそれは、周囲に「聞く耳」があるかどうか、ということなのであるが。まあ、一般論として自戒を込めて言ってしまえば、彼らの存在から響いてくる声を聴くことができず、声高な権利主張をされて初めて気づくようではダメなのだと思う。