自治体職員の読書ノート

読むために書くのか、書くために読むのか。

【2297冊目】市橋達也『逮捕されるまで』

 

 

 

 

 

リンゼイさん殺害容疑で、一時期いろんなところに顔写真が出ていた市橋達也。だが、2年7カ月の間、彼は捕まることなく逃げおおせていた。ほとんど着の身着のままのままで逃げ出した男が、どのようにしてこれほどの期間を逃げおおせたのか。本書はそのプロセスを市橋達也自身が綴った一冊だ。

北は青森から、南は沖縄まで。飯場で働いたり、遍路道を歩いたり、なぜかディズニーランドに行ったりと、逃亡犯にしては思い付きのような行動も目立つが、それでも捕まらなかったのは、市橋が相当にしたたかだったのか、それとも日本の警察がぬるいのか。

肝心の事件については全くと言ってよいほど触れられていない。犯した罪に対して「申し訳なかった」と何度も書くが、それ以上の深い反省も、劇的な改心もなければ、一生逃げ切ってやろうという気迫も感じられない。中途半端といえば、市橋の姿勢は相当に中途半端なのだが、その適度な緊張感と適度な余裕が、ここまで捕まらなかった一因なのかもしれない。

市橋自身は、いわば臆病な一匹狼にすぎない。だが、ある種どこにでもいるようなこうした男が通ったルートを知ることは重要だ。少なくとも、次に同じような逃亡事件が起きた時、逃亡者の行動パターンをある程度推測できるからだ。もっとも、本書が書かれた大きな理由は、自分についての誤ったメディアの報道を訂正したいということだったので、自分の経験を表沙汰にすることで社会の役に立ちたいという意識はあまりなかったようである。

ただし、当たり前のことだが、本書に書かれたことがすべてとは思うべきではないだろう。裏の取りようがないのだから、書きたくないことは書かなければよい。誰も気づかない。例えば、メディアで女装しているとか歌舞伎町で性を売っていると言われて腹が立ったと書いているが、本当にそういうことを「していなかった」かどうかも、今となっては判断のしようがない。なぜこんな「意地悪」を書くかというと、本書の文章のそこかしこに、言葉とは裏腹に、市橋自身の自己顕示欲や自己正当化が感じられるからなのだ。