【2292冊目】スティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』
自閉症をめぐる歴史を辿り、その現在をあきらかにする一冊。600ページ以上という、ブルーバックスとしては異例の厚さだが、ブルーバックスには珍しく「文系」にもやさしいリーダビリティの高さも異例。自分の関心のある領域ということもあり、一気に読み切った。
まず意外だったのは、「カナー型自閉症」で知られるカナーと、「アスペルガー症候群」で有名なアスペルガーがほぼ同時代の人物だったこと。カナーに比べてアスペルガーが知られるまでに時間がかかったのは、アスペルガーが第二次世界大戦下のオーストリアの学者であり、つまりは「敗戦国側」だったためだった。
ナチスの支配下にあった当時のオーストリアでアスペルガーがとった態度は、称賛に値する。師匠だったハンブルガーがナチスを支持し、「不完全な」人間を排除しようとしていた中で、アスペルガーはこんな文章を書いていたのだ。
「自閉症の実例はアブノーマルとされる人でさえ、どれほど発達と順応の能力があるかを如実に示してくれる。(略)このような知見は、自閉症や他のタイプの問題を抱えた人たちに対する私たちの態度に、多大な影響をあたえるものである。さらに私たちには自らの存在をかけて、こうした子どもたちを擁護する権利と義務があることを教えてくれるのである」(p.118)
対照的ともいえる態度を取ったのが、アメリカで自閉症研究の第一人者となったカナーである。カナーは子どもが自閉症になる原因を、親の冷たい養育態度にあるとみなしたのだ。後に多くの親(特に母親)が、「冷蔵庫マザー」と呼ばれ、子どもを自閉症にした悪魔のような母親だと責められることになるが、その原因のひとつとなる仮説を流布したのがカナーだったのである。今では親の養育態度と自閉症の因果関係ははっきり否定されているが、それにはリムランドの登場を待たなければならなかった。
自らも自閉症の子をもつリムランド夫妻は、自分たちが愛情不足であるわけがないという確信のもと、ついに「自閉症が幼児期のトラウマによって引き起こされる精神疾患の一種ではなく、先天的な「知覚能力不全」」(p.325)であるという結論にたどりついたのだ。これによっていかに多くの親が救われたことだろう。だが、自閉症の子どもたちにとっての受難は、まだ終わらなかった。行動を改善するためにスキナー式の行動療法の対象とされたのだ。それは、望ましい行動には報酬を、不適切な行動には「罰」を与えるというものだった。そして「罰」として用いられた手段の中には、電気ショックも含まれていたのである。
さらに、自閉症の子どもをもつ親は、世間の無理解にもさらされなければならない。その状況は今もあまり変わっていないが、それでも、ある映画の存在が「自閉症」をメジャーなものにした。ご存知『レインマン』である。本書は『レインマン』の成功に向けてどれほど多くの人々が尽力したか、その効果がどれほどのものだったかについて詳細にレポートする。映画というもののもつインパクトの大きさ、影響力の大きさをあらためて認識させられる。
自閉症についての考え方は、その後も紆余曲折をきわめている。中には「ワクチンの副反応説」というのもあって、これが自閉症の当事者や親たちの活動を大きく捻じ曲げ、損なったことも、本書は紹介している(ワクチン懐疑論というのは本当に厄介なものである)。まあ、いずれにせよ、大きな流れは、自閉症を「矯正」しようとするのではなく、そのあり方を認め、共存していく方向にはっきりと向かっているのである。
本書はここで「脳多様性」(ニューロダイバーシティ)という考え方を提示する。ジュディー・シンガーという、自らもアスペルガー症候群である大学院生が命名したらしいが、この発想は素晴らしい。自閉症は、あくまで脳の多様なパターンの中の一つに過ぎないと、この言葉は教えてくれる。いわゆる「健常者の脳」もまた、別のパターンにすぎないのだ。問題は「どっちが正常か」ではなく「どっちがマジョリティか」なのである。自閉症に限らず、障害を考えるにあたっても、この発想は重要だ。人は多様な脳と多様な身体をもっているのであって、たまたま少数派の脳や身体を持っているからと言って、差別や偏見を受けるいわれはないはずなのだ。
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