自治体職員の読書ノート

読むために書くのか、書くために読むのか。

【2278冊目】笙野頼子『ひょうすべの国』

 

ひょうすべの国――植民人喰い条約
 

 

気になって、遠目でちらちら覗いていたが、なんだかおっかなくって近寄りがたかった笙野頼子作品。思い切って手に取ったのがこの一冊というのは、果たして正解だったのか、どうなのか。

本書は高らかに宣言する。TPPは「亡国人喰い条約」。ひとたび署名してしまえば、農業も貯金も薬も、すべて外国の企業に絞り取られる。いや、日本そのものが喰われようとしているのだ。ひょうすべの施政方針演説は、こう叫ぶ。

「この国をどうやって管理するか、それは、あなた方の持っている、命、赤ん坊、未来、お金、土地、海、空気、遺伝子、血液、性器、プライバシー、天然記念物、個人の歴史までも、どうやって世界企業の資産にしていくかの方針を述べるのです。最も大切なのは、個人が無料で工夫して出来る事を、全て企業の傘下にして高い高い料金を取る事です。そうですとも! 特許なき「野蛮」を、ひょうすべは許さない」(p.36-37)

 

だが、ひょうすべとは何なのか。「表現がすべて」の略である。表現がすべて、表現の自由。それって素晴らしいこと、と思われるだろうか。だがここでいう「表現」の中身とは、こういうこと。

「権力や企業の告発報道だけは絶対させない。嘘つきの自由、搾取の自由。またその他にはそういうお金の精だけを支持したがるような、売り上げ専一、強いものの天下を支えてくれる、麻薬のような、弱者虐待の自由、性暴力の味方、差別の推奨。それ簡単に言えば、ちかんごうかん、ひとごろし、まとめて言うなら経済人喰い、ヘイトゾンビ、それが表現のすべてだと言っている、そういうわけですね」(p.21)

ここに描かれているのはディストピアだろうか。そうかもしれない。だがそれを言うなら、たとえば女性専用車両を「男性差別」と主張する連中が幅を利かせている国、総理の「お友達」山口某にレイプされた女性がバッシングされて海外で生活し、「お友達」のほうはおとがめなしの国、やはり総理を礼讃する本を書いている小川某がLGBTと痴漢を並列して論じる国はどうなのか。

本書の本当の恐ろしさはそこにある。著者は一応、本書はTPPが発効した後のもうひとつの日本=「にっほん」国を舞台にしていると言っている。だが読者は、読んでいるうちに、実は私たちの住んでいる国が、すでにディストピアと化していたことに気づかされるのである。そしてそこには、小川某のような「ひょうすべ」が、勘違いした表現の自由を振りかざして跋扈している。そんな国をつくってしまったのは、TPPも森友問題も沖縄の基地問題も、真剣に怒らず憂えず投票にすら行かず、へらへら笑って無関心を決め込んで無いことにしていた、私たち国民自身にほかならないのである。