自治体職員の読書ノート

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【2256冊目】竹田茂夫『ゲーム理論を読みとく』

 

ゲーム理論を読みとく (ちくま新書)

ゲーム理論を読みとく (ちくま新書)

 

 

ゲーム理論という言葉自体、最近あまり目にすることがないのだが、今でもコンサル業界やMBA界隈ではもてはやされているんだろうか。もう流行りが過ぎ去ったのであれば幸いだが、そうではなくむしろ「定着」したのであれば、本書の役割はいまだ大きいということになる。

本書はゲーム理論を批判的に考察する一冊だ。ゲーム理論ってどこかおかしい・・・と感じていた人にとっては胸のすく一冊だろうし、ゲーム理論がスグレモノだと思っていた人にとっては、いささかギョッとする内容だと思う。ゲーム理論って何?という方は・・・ええと、「囚人のジレンマ」という思考実験をご存知だろうか。だったら、本書に入っていくことはできると思う。

さて、ゲーム理論にはいくつかの前提がある。一定の人間像が想定されている、といってもよい。それは、合理的に思考すること、功利主義的に振る舞う(自分の利益を最大化しようとする)ことである。だが実際には、個人であれ組織であれ、非合理的な意思決定をすることはありうる(というか、多い)し、自分さえ良ければ・・・という行動をする人ばかりではない。

「狂人理論」というのがあるそうだ。合理的思考の枠を外れた「狂人」が相手だと、自分も合理的戦略が立てられなくなる(ゲーム理論は「相手も合理的に考える」ことが前提だ)、というものだ。そのため、相手の出方を待つしかなくなり、結局は相手に主導権を握られてしまうのだ。第二次世界大戦の時のヒトラーに対する連合軍の対応がそうだった。今も、どう見ても合理的とは思えないトランプや金正恩に世界中が振り回されている。だが、そもそも「完全に合理的な人間」そのものが一種のフィクションなのである。人は多かれ少なかれ、どこかヒトラーであり、トランプなのだ。

人が目的志向的にのみ行動するという考え方もおかしい。その例外として、著者は「ことば」「遊び」「暴力」を挙げているが、例えば人との会話は、必ずしも何かの目的があるとは限らない。会話自体を楽しむことだってある。さらに「遊び」となると、遊びを楽しむこと自体がいわば目標だ。「暴力」も、決して合理的な理由から起こるわけではない。本書では特にルワンダのジェノサイドが詳細に取り上げられ、解析されているが、なぜそれまでは隣人であったツチ族フツ族が殺し合いになったのかについては、到底「合理性」だけで測れるものではない。

ゲーム理論は一種のモデルであり、現実には存在しないある種の理念型である。そして、その射程を推し量ることはたいへん難しく、つまりは現実への適用はきわめて限定的となる。本書は、ゲーム理論という枠組みを通じた、人間という「非合理的な存在」への洞察の書なのである。