自治体職員の読書ノート

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【2216冊目】高橋洋一『ベル・エポックの肖像』

 

 

国立新美術館の「ミュシャ展」はすばらしかった。いきなり登場する巨大な「スラヴ叙事詩』の、神話と歴史が融合した世界観にも圧倒されたが、一方で気になったのが、後半の「アール・ヌーヴォー」を担った画家としてのミュシャ。特にサラ・ベルナールを描いた「ジスモンダ」「ロレンザッチオ」「メデ」などのリトグラフには魅了された(「メデ」のサラの表情、怖すぎる!)。

 

www.mucha2017.jp

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ミュシャが活躍した当時、フランスは「ベル・エポック」と呼ばれる、文化と芸術が一挙に開花した奇跡のような時代だった。1889年、1900年の二度にわたるパリ万博は、普仏戦争で衰えたフランスの国力の復活を宣言し、ユゴー、デュマ、マラルメオッフェンバック、ギュスターヴ・ドレなどが登場した。その百花繚乱の中心にいたのが、フランスを代表する歴史的女優、サラ・ベルナールだったのだ。

本書はベル・エポックの歴史とサラ・ベルナールの生涯を、車の両輪のように描いた一冊だ。サラの一生は、恋と戦いの連続だった。次々に恋人を取り替え、コメディ・フランセーズから侮辱的な扱いを受けるとさっさと別れを告げ、自らの名前を冠した劇場さえ作ってみせた。有名なドレフュス事件では、ドレフュス無罪の論陣を張ったエミール・ゾラを反ドレフュス派から庇ってみせた。まさしく破格の女優、破格の人間だったのだ。

当時、映画はまだまだ黎明期だった(リュミエール兄弟がシネマトグラフを生み出したのは、ベル・エポック渦中の1885年)。サラを撮った映像もあるようだが、あくまで舞台を撮ったもの。もう少し遅く生まれていたら、サラは映画女優として、その映像とともに歴史に残ったかもしれない。