自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【2200冊目】プラトン『パイドロス』

 

パイドロス (岩波文庫)

パイドロス (岩波文庫)

 

 

「実際には、われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである」(p.52)

 


「君は私と付き合うべきだ。なぜなら、君は私を恋していないのだから」なんて突拍子もないことを言い出すリュシアス。その理由を聞いてみると「恋をすると、人は正気を失い、理性的な判断ができなくなる。そんなふうになるよりは、きちんと理性が働いている状態で、価値を認めた人と付き合うほうが良いから」。

典型的な詭弁だが、これで相手を言いくるめようとするのが弁論術だと、当時のソフィストたちは思っていたようだ。実際、本書の冒頭でリュシアスが展開する議論は、どこかおかしいのだが「どこが」おかしいのかよくわからない。だが、これに対するソクラテスの反論が、さらにとんでもない。なにしろ「恋は狂気かもしれないが、狂気が悪いとは限らないんじゃないか?」というのだから。

「美」と「恋」について語ったこの対話篇、読むと古代ギリシアの時代に書かれたとは思えないほど「きわどい」内容で驚かされる。中でも冒頭のフレーズが凄い。「狂気」と「逸脱」の堂々たる肯定。まるで岡本太郎である。だが、この自在な思考こそが、後世の堅苦しい中世神学の中で見失われてしまったギリシア哲学の本領なのだろう。

さらに議論(といってもほとんどソクラテスの一方的な論陣)は、弁論術全般に及び、有名なソフィスト批判が展開される。ここで感慨深いのは、ついに「哲学者」(愛知者=知を愛する人)というワーディングが登場するくだり。知っていましたか。ソクラテスは、「知者」という言葉を捨てて、その代わりに「愛知者」という言葉を選ぶのである。

「これを「知者」と呼ぶのは、パイドロス、どうもぼくには、大それたことのように思われるし、それにこの呼び名は、ただ神のみにふさわしいものであるように思える。むしろ、「愛知者」(哲学者)とか、あるいは何かこれに類した名で呼ぶほうが、そういう人にはもっとふさわしく、ぴったりするし、適切な調子を伝えるだろう」(p.144)

 


無知の知」を語ったソクラテスらしい、謙虚で真摯なセリフである。ちなみにソクラテス自身は著作をいっさい残さなかったのだが、そのあたりの事情をうかがわせるくだりがこの少し前に出てくるので、あわせて引用しておきたい。文字情報全盛で、何でも「ウィキペディア」で調べて知った気になり、人と人とが直接「知」を語り合うことがきわめて少ない現代社会にこそ、読み返されるべき言葉であろう(これが文字で書かれているのも、また「偉大なる自己矛盾」であるのだが)。

「彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになる(略)。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなく、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人に与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくてももの知りになるため、多くの場合ほんとうはなにも知らないでいながら、見かけだけは非常な博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう」(p.134~135)

 いやはや、耳が痛い。