自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2182冊目】マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

プロテスタンティズムの世俗内的禁欲は、所有物の無頓着な享楽に全力をあげて反対し、消費を、とりわけ奢侈的な消費を圧殺した。その反面、この禁欲は心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った、利潤の追求を合法化したばかりでなく、それを(上述したような意味で)まさしく神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義的な桎梏を破砕してしまったのだ(マックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 p.342)

 

 

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

 

 
経済を上向かせるには、消費を増やすべし。そんな経済の「常識」をまるごと裏返し、「禁欲こそが近代資本主義を育てた」ことを明らかにしたこの本は、マックス・ヴェーバーの代表作にして、社会学の古典中の古典である。

宗教改革によって生まれたプロテスタンティズム、中でもカルヴァンの唱えた徹底した禁欲思想が、なぜ資本主義を大きく進めたのか。その前提となるのが、そもそも財産は自分のものではなく、本来「神のもの」である、という発想だ。ここから2つの発想が生まれる。1つは、神のものである富を蓄えることは宗教倫理に反しない、したがって「儲ける」ことは正当化される。もう1つは、そのようにして貯めた財産を、自分の贅沢のために使ってはならないというものだ。

この2つが行きつくところは、膨大な財産的蓄積だ。そりゃそうである。勤勉に働いてせっせとお金を貯め、貯まったお金は使わないのだから。ここにさらに「天職(Beruf)」という概念が加わる。職業とは神から与えられたものであり、その仕事に邁進することが神に貢献する道なのだ。ただし、これは決して「仕事をがんばれば救われる」というような考えではない。カルヴァンの教えでは、人が救われるかどうかは神のみぞ知ることで、しかも最初から決まっているというのだから。

救われるかどうかには関係なく、信仰の道に自らを捧げる。稼いだお金を好きに使えなくたって、がんばって働いてせっせと貯める。この、一見狂信的とも思える宗教的発想が、勤勉と蓄財を両立させ、近代資本主義のトリガーとなった。もっとも、だったらプロテスタント圏以外の国、例えば日本で同じような「勤勉と蓄財」が成り立った理由をどう考えるか、という疑問も湧いてくるが、それはともかく、近代資本主義が西洋において生まれたことの説明にはなっていると思われる。

説明が詳細にわたり、注釈も非常に多く(たぶん本文と同じくらいのボリューム)、本筋を外さないで読んでいくのは結構大変だった。だがそれだけに、著者の到達した結論には、いろいろ疑問はあるにせよ深く納得させられる一冊だ。