自治体職員の読書ノート

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【2149冊目】大崎善生『いつかの夏』

 

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件

 

 
2007年夏に起きた「名古屋闇サイト殺人事件」。本書はその被害者の、わずか31年の生涯に焦点をあてた一冊だ。

犯罪そのものに着目した本は多いが、無名の被害者にここまで深入りした本はめずらしい。実際、「磯谷利恵」という名前は、関係者以外の人にとっては、この陰惨な事件の被害者として世の中に残っているだけだ。だが、彼女は決して「被害者」という記号ではない。それまでずっと、山あり谷ありの人生を歩んできた一人の人間なのだ。

本書はその31年間を丁寧に描写することで、奥行きのある生き方をしてきた人間として彼女を描くと同時に、その人生を無残に断ち切った犯罪の卑劣さを突きつけてくる。圧巻は、キャッシュカードの暗証番号を聞かれて彼女が答えた「2960」の意味。そこに磯谷利恵という女性の知性、愛情、信念、矜持、そして人間としての強さが、すべて込められている。涙なくして読めないとは、まさにこのことだ。

悲惨な結末を知っていても、彼女の人生を追うのをやめられない。そして、事件が残酷なものであればあるほど、被害者の平凡かつ唯一の人生が、かぎりなく輝いてみえてくる。こんな本を読ませてくれたことを、著者に感謝したくなる。こういう本は、めったにない。