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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【2126冊目】『障害者のリアル×東大生のリアル』

福祉・教育・医療

 

障害者のリアル×東大生のリアル

障害者のリアル×東大生のリアル

 

 
障害者を書いた本、ではない。東大生を書いた本である。

「障害者のリアルに迫る」というテーマで、東大生が立ち上げた自主ゼミ。そこでさまざまな「障害者」の話を聞き、会話を交わすことで見えてきたのは、自分自身だった。いわば障害者が鏡となって、問いかけるはずの自らが問いかけられ、裸にされ、さらされたのだ。そのつもりがなかったとしても、健常者にとっての障害者とは、常に問いかけ、自問自答を促す存在なのだ。

ALSの岡部さんを見下していたことに気づいたとき、同時に「どちらが幸せを感じられているか。間違いなく岡部さんだ」「私は彼に負けている」と感じた岡崎さん。自分とはまるで違う環境の中で生きてきた触法障害者と話すうちに「同じ」ものを認めた氣賀さん。自らも精神を病んだ経験をもち、苦悩してきた北村さんは「何かができないことというのは、同時に何かができるということではないか」と気づいた。「べてるの家」「べてぶくろ」に出会った御代田さんは「世界は一つじゃないし、それらに優劣はない」と知り、救われた。

だが、もっとも秀逸な「気づき」は、おそらく佐藤さんの「このゼミは私たちに「わからない」ことを教えてくれた」というものだろう。そうなのだ。「知る」「分かる」「覚える」ことの果てに、東大という場所にたどり着いた優等生たち。そこではおそらく「わからない」ことは「わかる」ための過程でしかなかっただろう。だが、そうではないのだ。「わからない」ことそのものに、価値や意味があるのである。

「わからない」にとことんまで付き合い、苦しみ、悩む。本書に掲載された文章も、いわば「わからない」ものへの七転八倒の軌跡である。その中で、「わからない」ことに耐えかねて、どこかで聞いたような「正解」に逃げた人と、最後まで粘り腰で「わからない」に向き合い続けた人の文章は、歴然と違う。

人のことだって、自分のことだって、そんなに簡単に「わかる」ワケはない。だからこそ、佐藤さんがたどりついた「わからない」の価値への気づきは、値千金なのである。