自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2123冊目】マイケル・エドワーズ『「市民社会」とは何か』

 

「市民社会」とは何か―21世紀のより善い世界を求めて

「市民社会」とは何か―21世紀のより善い世界を求めて

 

 



どんな本でもそうだが、読んでも「ピンとこない」場合、大きく3つの可能性が考えられる。第一に、読み手がちゃんと読めていない。第二に、書き手に問題がある。第三に、翻訳がヘタクソ。

第二の場合は、気づいた時点で本を放り投げることが多い。第三の場合は、もともと書かれている内容はしっかりしていることもあるので、我慢して最後まで読む。実は一番判断が難しいのは、第一の場合だ。自分の力量が本に追いついていない、ということはしょっちゅうあるのだが、だからといってさっさとあきらめてしまうと、読書の「自力」が身に付かない。いささか古臭い考え方なのかもしれないが、分からないものをそれでも必死に食らいついて読むことによって、得られるものはあると思うのだ。それは、その本から何かを得られる、ということではない。むしろ、他の本を読むときに、懸命になって崖にしがみつくようにして読んできた経験が活きるのだ。

さて、本書である。これもやはり「読めない」「入ってこない」本だったのだが、実は、その理由が最後までよくわからなかった。なんだか良いことが書いてありそうな予感はある。個々の文章も分かりにくいわけではないし、翻訳だってそれほどマズくはない。でも、なぜだろう。書かれている内容が、自分の頭の中でなかなか組み立てられないのだ。細部の筋は追えても、全体を貫くロジックが見えてこない。本全体の結節点となるようなポイントが見えない。それが書き手の「話のハコビ」のためなのか、私自身の問題なのかも、よくわからない。霧が晴れないまま最後までたどり着いてしまった読書。こういうことも、ある。

正直言って、読んだふうを装った「解説」はできる。目次、はじがき、あとがき、訳者解説を読めば、たいていの本は読んだフリして感想くらいは書けるものだ(著者情報、帯、カバー裏のダイジェストがあればさらによい)。例えばこの本なら「市民社会を〈団体活動としての市民社会〉〈善い社会としての市民社会〉〈公共圏としての市民社会〉の3タイプに分けてそれぞれの性質を論じ、今後の方向性を示した一冊」「著者は世界銀行を経てフォード財団に籍を置き、市民社会部門のスペシャリストとして、現場の実践をもとに市民社会の現状と未来を考察している」。これくらいのことは、読む前から「読めている」のである。

だが、そんなことをして何になろうか。これがちゃんとした書評なら、そもそも本書については「書かない」のが誠実な態度だし、いい加減にやろうとすれば「読んだフリ」で書けばよい。だが、この「読書ノート」は、読めなかった時のことも含めて、その時の印象を残しておきたい。あ、一つだけ言っておくと、「公共圏としての市民社会」という考え方には、何か新しいもの、市民社会というものの閉塞感を打ち破る可能性を感じた。以上。