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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【2120冊目】黒川祥子『誕生日を知らない女の子』

 

 



児童虐待を扱った本は多いが、「その後」を書いたものは少ない。だが、虐待が「保護すれば終わり」「分離すれば解決」といったなまやさしいものではないことは、本書を読めばよくわかる。

突然「フリーズ」してしまう子。カーテンにくるまって出てこない子。すさまじい暴れ方をする子。虐待者である実母のもとに戻りたがる子。産まれてきた自分の子を、自分がされてきたように虐待してしまう親……。虐待という経験が、いかに子供の心を追い込み、破壊寸前にまで至らしめるか。ある虐待サバイバーは「あの時殺されていたほうが良かった」と言ったという。

思えば今までの児童虐待に関する本のほとんどは、どちらかというと「虐待する親」の視点に立って「なぜ虐待してしまうのか」といった切り口から書かれていたものが多かったのではないか。だが、本書ではその視点は基本的に排除されている。本書の冒頭で「なぜ、母親が自分の子どもにこのようなことができるのですか?」と問うた著者に、児童精神科医杉山登志郎はこう答える。

「マスコミは、すぐに因果律で考えるからなー」

 



「こういう親が、現にいるわけです。説明できないマイナスの部分にわれわれは直面していくしかない。言葉で説明できないけれども、こういう親がいる。そこからスタートしないと。虐待は何よりも、子どもの側から見るべきものです。子どもを含めた虐待全体の中で考えていかないといけない」

 



この言葉に、本書の立ち位置はすべて示されている。「なぜ」を問うのは、評論家の視点、第三者の視点である。だが著者は、徹底して子どもの側に立って「虐待」を見つめている。そのことが、この本をこれまでの児童虐待関連書籍とまったく違うものにしている。

読むに堪えない悲惨な話もたくさん出てくる。だが、こうした経験をし、こうした思いをした子どもたちが大人になって、生活しているのが今の社会の現実なのだ。そして、その子どもたちを懸命になって支えているのが、本書の「もうひとりの主役」というべき里親たちである。その献身ぶりと熱意には、本当に頭が下がる。日本の児童福祉は、こうした人たちの献身によって支えられているのである。