自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2114冊目】ラース・スヴェンセン『働くことの哲学』

 

働くことの哲学

働くことの哲学

 

 

仕事とは、いったい何だろうか……いや、違うな。この本を読みながら考えていたのは、「私にとって」仕事とは何なのだろうか、ということだった。

例えば、同じことをお金をもらわずにやっていたら、それは仕事だろうか。違う? なら、仕事とお金(給料、報酬、その他なんでも)は一体のものなのか。では「奴隷労働」は仕事か? それが極端すぎるというなら、たとえば「家事労働」は仕事? あるいは、趣味と仕事はどう違うのだろう。この読書ノートは「趣味」のつもりだが、じゃあこれを書いたらお金がもらえるとしたら、これは「仕事」になるのだろうか。

仕事と給料に関しては、本書におもしろい問いかけがある。他の条件(例えば物価とか、仕事の中身とか)が一緒だとして、あなたは次のどちらを選ぶだろうか、というものだ。

(1)あなたは年間35,000ポンド稼ぐが、ほかのひとは45,000ポンド稼ぐ
(2)あなたは年間25,000ポンド稼ぐが、ほかのひとは20,000ポンド稼ぐ

 


ちょっと考えてみてください。合理的なのは(1)だが、著者は、相当数の人が(2)を選ぶのではないかと考えている。なぜか。仕事と給料の関係とは、単なる「生活の糧」というだけではなく、そこに「みずからの価値」が示されているからだ。そこには「収入の高さ」と「人間としての価値」が、暗黙の裡に重ね合わされている。

あるいは、こんな統計はどうか。西洋諸国では、自分の仕事に「満足している」と答える人はおおむね80~90パーセント(けっこう高いのに驚く。日本ではどうなんだろうか?)。だが、それならみんな生涯同じ仕事を続けるかというと、それがそうでもないのだという。実際、離職率は年々増加し、生涯を一つの仕事だけで終える人はかなり少ない(書いていて思ったのだが、これって日本と真逆なのでは? 日本の雇用は「満足度が低いけど、転職率も低い」のではないか)。なぜこういうことが起きるのだろう。

なんだかんだいっても、仕事が人生に与える影響は大きい。仕事イコール人生、になってしまうのは危険だが、かなりのウェイトを占めているのは事実である。さらに問題をやっかいにしているのが「自己実現」と仕事の関係だ。興味深いのは、こうした「自分らしい自分」などという考え方が出てきたのは、近代ロマン主義の影響であるということだ。そこでいう「自己」とは、ふしぎなことに、今ある「自己」ではなくて、今後創出される自己のことをいう。ここでは仕事は、こうした「自前の自己」を創出するためのツールになる、と著者はいう。

問題は、こうした理想の自己が永遠に「自分の未来にある」ということだ。「自分の目標とする究極的にして個人的な意味が完全に実現されることがけっしてない以上、本当に自分が満足を得ることはない」そして、この「自己」の形成に仕事が大きな影響を与えている以上、理想の仕事にもまた、人はなかなか巡り合えない、ということになる。

本書で示されている「仕事と人生の関係」は、もう少しバランスのとれたニュートラルなものだ。それは生計の手段であり、苦役であり、生きがいであり、その他さまざまなものが組み合わさったものである。本書はさまざまな角度から、そうした仕事の「得体の知れなさ」を照らし出した一冊であるといえるだろう。

本書の序文によると、著者の父は14歳から定年までを、配管工として同じ造船所で勤め上げたという。著者によれば、父は造船所で働くことを楽しんでいたが、それが有意義なのかとか、自分のキャリアアップをどうするかとか、仕事とアイデンティティの関係について悩んだことはなさそうに思えた。だがそれでも「あきらかに造船所での仕事は、父が自分をどんな存在と理解し、また他人からどうみなされていたかを決めるうえで重要な部分を占めていた」と著者は言う。著者の仕事観の原型には、おそらくこうした父の姿があるに違いない。

本書は仕事について考える本であると同時に、人生について、生きがいについて、「私たちはなぜ生きているのか」という根源的な問題について考える本でもある。おそらく、両者が重なり合うという事実そのものに、仕事とは何なのか、という問いに対する著者の答えがあるのではないだろうか。