自治体職員の読書ノート

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【2110冊目】ミシェル・ウエルベック『服従』

 

服従

服従

 

 
「既存の社会制度の中で生き、それを享受してきた人間にとって、そのシステムに期待するものが何もなかった者たちが、格別怖れもせずにその破壊を試みる可能性を想像することはおそらく不可能なのだ」(p.51)

本書の舞台は近未来のフランスだ。極右政党が政権を握るより、中道・左派の政党はイスラーム同胞党と手を結ぶことを選ぶ。なんとヨーロッパのど真ん中のフランスに、イスラーム政権が誕生するのだ。

本書は徹底的にフランス、あるいはヨーロッパの視点から描かれる。ヨーロッパ文明の終わりがやってくるという危機感は、おそらく現在もあいまいな形で漂っている。ウエルベックはそれを「イスラーム化」という形で可視化し、ユイスマンスを研究する若き学者の目を通して描き出した。

思えばユイスマンス自体、近代ヨーロッパのデカダンスを体現したような作家であった。だが、それはあくまで文化の爛熟であり、精神の退廃である。本書はそうしたレベルにとどまらず、現実の社会制度をイスラーム化させた。ユイスマンス研究者の主人公はそれに対して何もできず、やがて自らも改宗の道を選ぶ。その「インテリの無力」に、ヨーロッパそのものの無力が重なり合う。

もっとも、これはあくまで著者に沿って「ヨーロッパ寄り」の読み方をした場合の感想だ。だが、読みながらずっと戸惑っていたのは、本書においてイスラームが基本的に「外部の」ものとして描かれていたという点だ。もちろん、フランスにとってイスラームは外部であろう。だが、日本人である私にとっては、フランスもイスラームも外部の存在に変わりはない。ウエルベックに付き合って、ヨーロッパ文明の終焉に危機感を感じる義理はないはずなのだ。

とはいえ、本書はいろいろな読み方の「変奏」ができる小説でもある。佐藤優が解説で述べているように、イスラエルでも本書は話題になったという。日本でも、異質の政権が突然誕生する可能性は皆無ではない。そして、仮にイスラームのような一神教かつ政教一体の政権が誕生したら、日本は果たしてどうなるだろうか、と考えると、これはちょっと止まらなくなる。おそらくその混乱は、フランスの比ではないはずだ。

むしろ私は、イスラームの側が本書をどのように読んだか聞いてみたい。あるいは、現実に同じようなことが(逆バージョンで)起こったトルコなどのケースである。そう、トルコ。オスマン帝国が凋落し、革命と民主主義が起こったトルコで、この本はいったいどう読まれるのだろうか。例えばオルハン・パムクであれば、本書をどう評するのだろう。