自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2109冊目】秋月龍ミン(*)『白隠禅師』

 

白隠禅師: 仏を求めて仏に迷い (河出文庫)

白隠禅師: 仏を求めて仏に迷い (河出文庫)

 

 
*ミンは王+民

「地獄に気づいた人は少ない。しかし真に地獄を脱した人は更に少ない。まして他のために地獄に下った人は稀である」

柳田聖山氏が、白隠について語った一節だという。著者はこれについて「白隠を語って、これほど見事な言葉はほかにないと思う」と書いている。

白隠は11歳の頃、村の寺で地獄の話を聞いて身体が震えたという。五右衛門風呂に入った時は、地獄の釜の責め苦を思い出して泣き出した。だいたい、5歳の頃、空に浮かぶ雲を見て世の無常を感じたというから、これは並大抵ではない。

15歳で出家を許されたが、修行の道も平坦ではなかった。「狗子仏性」の公案に向かい、いや公案そのものとなって、ひたすら「無ーっ」「無ーっ」と歩くうち、遠くの寺の鐘の音が「ゴーン」と響いたのを聞いた瞬間に悟りを開いた。ところがここで出会ったのが正受老人という破格の禅僧だった。「趙州の無字は、どう見たか」と言われた白隠が「趙州の無など、手脚のつけどころもありません」と答えた瞬間、老人は指でその鼻をつまんで、言った。「でも、こんなに大きな手のつけどころがあるではないか」

白隠の完敗だった。それから連日、正受は白隠を罵り、拳で打ち据えた。修行が行き詰まり、今までの悟りはみんなウソの皮だと気付いた白隠が、ある日托鉢に出てある家の門に立った。「ほかの家に行きなされ」と婆さんが言うが、白隠は公案のことで頭が占められていて、婆さんの声が聞こえない。怒った婆さんが竹ぼうきをもって「この男、行けというに、なおもここにぐずぐずしておる」と白隠を打った。その瞬間である。これまで通過できず苦しんでいた公案の数々が、一挙に白隠の中で透過した。帰った白隠を見て、正受老人はただちに言った。「おまえ、徹したな」

白隠が本当に悟った瞬間のエピソードである。禅に関する本を読んでいてとにかく面白いのが、この「悟りの瞬間」だ。外から見ると、それは本当にちょっとしたものなのだ。ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力の存在を察したというが(どうもこのエピソード自体はウソらしいが)、禅の修行僧ならリンゴが落ちた瞬間に悟りを開くのかもしれない。

もちろんそれは、そこに至るまでの修行があり、公案をめぐる思考があり、思考を超えた、それこそ「無」の一字そのものとなった壮絶な日々があってのことだ。その瞬間、まさにヒナが孵る瞬間に卵の殻を親鳥とヒナが同時につつくように、悟りの殻がぱらりと割れるのである。

とはいえ、誰もがこうしたプロセスを辿れるわけではない。「地獄を脱した」白隠は、多くの人々、庶民が地獄の苦しみから抜け出せるよう、さまざまなわかりやすい法話、ユニークな書画を多く残し、公案や修行のプロセスにも独自の工夫を凝らした。粉挽歌などのいわゆる労働歌もあったという。

その背景にあったのは「大悲闡提」という思想であった。「闡提」とは「イッチャンチカ」というサンスクリット語に由来する言葉で、意味は「どうやっても救えぬ奴」「箸にも棒にもかからぬ奴」。大乗仏教とは、こうした「縁なき衆生」を救うため、自ら悟りつつこの世の地獄に身を置く菩薩の思想であった。

白隠もまた、禅という「個人の悟り」の世界から、こうした闡提の救済に戻ってきた者であった。それが「他のために地獄に下った」という言葉の意味である。著者はこれを「白隠の禅の本質」と指摘する。悟りを得ることは、そこではいわば入口にすぎない。大悟してからの日々こそが、白隠禅の本領なのである。

本書はこうした白隠の生涯と思想をわかりやすくまとめた一冊。実は「公案」のユニークでエキサイティングな世界も存分に紹介されているのだが、長くなるので省く。だが一つだけ、白隠の公案として有名なものを紹介しておきたい。この公案によって指導したところ、それまでとは格段に工夫が進みやすいとされているものだ。こんな内容なのである。

「両掌相打って声あり、隻手に何の音声かある」

(両手を打てば音がする。ならば、片方の手には音があるか)

さあ、答えてください。どう答える?