自治体職員の読書ノート

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【2100冊目】高木久史『通貨の日本史』

 

 
その1

有名な和同開珎より半世紀前につくられた「無文銀銭」が日本最初の銀貨だった。さらに飛鳥宮で日本最初の銅貨である「富本銭」が、そして8世紀には和同開珎がつくられた。だが中央政府による貨幣発行は10世紀あたりで途切れ、再開されたのはなんと江戸時代の寛永通宝(17世紀)。それまでの間、主に使われていたのは中国の通貨であった。

その2

中世日本には、省陌(せいはく)という慣習があった。これは、たとえば1文銭97枚を、穴に紐を通してつないでいる場合、これを100文として扱う、というもので、なんと幕末まで続いたという。だから早起きしてバラ銭を紐でつなげば三文の得がある、早起きは三文の得、となったとかならないとか。

その3

中世の日本はシルバーラッシュだった。石見銀山はヨーロッパの宣教師にも注目され、そのためザビエルは山口あたりで布教を重点的に行ったという。銀は当時の貿易通貨で、特に中国が銀をほしがった。中国への銀輸出を担ったのがポルトガル商人だったのだ。石見の銀は、いわばグローバル・マネーとなって当時の世界経済を動かした。

その4

江戸時代前期は、寛永通宝の発行のみならず、幕府が金貨・銀貨・銭(三貨)をすべて発行し、外国銭や国産模造銭を禁じた点で日本の貨幣政策を画期した。だが一方では、民間や藩が紙幣を発行し、流通させた時代でもあった。民間の発行した紙幣を私札、藩が発行したものを藩札という。なお世界史的には、紙幣は戦時に戦費調達のため政府によって発行されるケースが多いが、日本の場合は平時に、しかも民間と地方から発行が行われたという点で特異である。

その5

幕府は何度か紙幣発行を制限したが効果はなく、むしろ江戸時代後半に向けて私札・藩札は全盛期となった。その背景にあったのは、経済成長によって少額通貨が不足したこと。もっとも、その背景には、社会の安定と信頼がかなり高度なレベルに達していたということがある。そうでなければ「ただの紙切れ」にすぎない紙幣がこれほど流通することは考えられない。

その6

長きにわたり日本は多様で多元的な通貨制度の国であった。そもそも東日本は金、西日本は銀が取引の基本であった。そこに私札や藩札が入り乱れ、その状態が幕末以降まで続いた。ちなみに中央政府が「札」を発行したのは幕末の幕府紙幣が最初だったが、これはすぐに幕府が倒壊してしまったため流通しなかった。

その7

廃藩置県が行われた一因に藩札の流通があった、と述懐しているのが井上馨である。藩札で納税されても通用地域が藩内に限られているので使いにくい、ということであったらしいが、これは単に通貨だけの問題ではなく、こうした「藩単位」の経済圏やメンタリティを、明治政府が扱いかねたということなのだろう。

その8

「円(圓)」という単位名は中国の模倣との説が有力という。中国にメキシコドルが流入したとき、円形だったので中国人がこれを「銀圓」と呼んだのだそうだ。ちなみに現在の中国の通貨単位は「元」だが、紙幣には「圓」の文字がある(略字だが)。「圓」は画数が多いので、同じ発音の「元」(yuan)が慣用されるようになったそうだ。さらにちなみに、韓国の「ウォン」も由来は同じらしい。通貨名だけみても、これだけ日・中・韓がつながっているというのは面白い。

その9

日中開戦翌年の1938年、臨時通貨法が定められ、従来の貨幣法に基づく貨幣の発行は行われなくなった。戦時中の1942年には、日本銀行法が施行されて管理通貨制度に移行、翌年には初めて「日本銀行券」が発行された。この「戦時通貨体制」はなんと20世紀終わりころまで続いた。臨時貨幣法の廃止は1987年、日本銀行法の改正はなんと1997年。改正日銀法では、発行高を制限する規定が廃止された。

その10

1960年代、1円硬貨不足が起こり、ある商店主はボール紙で「1円硬貨」をつくっておつりを支払った。だが戦前も少額硬貨が不足して、郵便切手やタバコで支払意をするケースはあった。さらに時代をさかのぼれば、米や特産物で「納税」をしていた時代だって、つい最近まであったのだ。通貨とは、案外それほど絶対的なものではないのである。