自治体職員の読書ノート

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【2091冊目】オリヴィエ・クリスタン『宗教改革』

 

宗教改革―ルター、カルヴァンとプロテスタントたち (「知の再発見」双書)

宗教改革―ルター、カルヴァンとプロテスタントたち (「知の再発見」双書)

 

 
第1に、宗教改革は「個人」の確立に寄与した。カトリックにおいては、共同体と信仰が一体のものとして結びつき、日々の習慣や社会のルールにも教会の影響が及んでいた。信仰はあくまで教会を通して行うものだったのだ。かたやプロテスタントでは、「聖書」が流通し、個人が聖書を通じて直接神に至る、という信仰の流れができた。これによって、信仰が「個人で行うもの」になった。

第2に、聖書の流通には、印刷技術が大きく関与した。グーテンベルクの技術がなければ、ルターがドイツ語訳聖書を広めようとしても、なかなか流通しなかっただろう。そもそもグーテンベルク自身、ラテン語の「グーテンベルク聖書」を作ったのだが、圧倒的に普及したきっかけは、やはりルターにあった。印刷技術が宗教改革を可能としたのみならず、宗教改革が印刷技術を広めたという面もあるのだろう。

第3に、宗教改革そのものというより、宗教改革への反発が、さまざまな芸術を開花させた。特にバロック絵画やバロック彫刻の発展は、宗教改革へのカトリック勢力の反撃でもあった。カラヴァッジョもベルニーニも、カトリック勢力の本拠地であるイタリアですばらしい作品を多く作ったのだ。その背景には、ルターたちが聖書そのものを介してキリストの教えを世に広めたのに対して、カトリック勢力はそれ以外の、図像や建築、彫刻を通して聖書の内容を伝えようとした、ということがあった。ちなみにプロテスタント側の芸術的な収穫はいささか乏しいが、ルターは音楽を重視し、自らも讃美歌を作曲したらしい。

第4に、これも宗教改革の反動で、イエズス会の海外布教が盛んになった。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルイエズス会、つまりはカトリック側の人間である。これによってインド、東南アジア、東アジアにまで布教の手が伸び、宣教師がアジアの地に降り立った。結果から見れば、これがヨーロッパ文化をアジアに伝えるとともに、後の交易や植民地支配の先鞭ともなった。

第5に、今度はプロテスタントの側であるピューリタンが、アメリカ大陸に渡りアメリカ合衆国の礎を築いた。南米を支配したスペインやポルトガルカトリックだが、北アメリカに入植したのは宗教的な使命感に燃える人々だったのだ。このことが、南米とは全く違う北米の歴史を形成した。アングロ・アメリカの社会や政治のありようは、ピューリタンを除いて語ることはできない。

第6に、宗教改革はヨーロッパを分断し、民族意識を萌芽させた。特にドイツでは、ルターがドイツ語訳聖書を広めたことから「いかなる国家への帰属からも生まれ得なかったドイツ民族意識の形成」が起きたという。当時のドイツは、名目上は神聖ローマ帝国としてカトリックの支配下にあったが、実際上は有力な諸侯が割拠する状態にあり、民族意識のようなカタチでのまとまりは見られなかった。そこに結束点として登場したのがルターだったのだ。また、こうした状況だったからこそ、ルターを庇護する領主も出現したといえよう。

第7に、こちらは民族意識とは逆に、国を超えた強固な連帯意識が生まれた。こちらは主にカルヴァン派によって、国際的なネットワークが形成されたことによる。その影響範囲は「東はトランシルヴァニアから西はスコットランド」に及んだという。

第8に、これはマックス・ウェーバーの有名な著作があるとおり、プロテスタンティズムこそが資本主義を準備した、と言われている。もっとも、これについては本書ではまったく触れられていない。

第9に、ヨーロッパ人同士、しかも同じ国の人々同士が殺しあうきっかけを作ったのも宗教改革だった。カトリックプロテスタント双方によって、とんでもない規模の迫害と虐殺が引き起こされた。偶像破壊の名のもとに破壊された芸術品も数多い。その衝撃度は、虐殺の光景を描いた多くの絵が残っていることからもうかがえる。