自治体職員の読書ノート

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【2088冊目】タミム・アンサーリー『イスラームから見た「世界史」』

 

イスラームから見た「世界史」

イスラームから見た「世界史」

 

 
600頁を超える大著だが、あまりの面白さに一気読み。「物語として書いた」と著者みずから言うとおり、圧巻の「語り」で、メソポタミア文明から911まで(あとがきでは「ジャスミン革命」まで)をなめつくす。

911の時、欧米の多くの人は「なぜあんなことが」と思った。単純な連中は「頭のおかしいテロリストの仕業」として片づけたかもしれないが、もう少しものを考えられる人は、これまであまりにもイスラームのことを知らなかったということに気付かされただろう。本書はいわば、そうした人々の要請に応えるようにして、現代のイスラーム諸国や「イスラム過激派」がどういう歴史的文脈を経て今のようなカタチになったのかを、政治、社会、文化、思想、そしてなんといってもイスラームという「宗教」に着目して解き明かしてみせた一冊なのだ。

実際、ヨーロッパ側から見た世界史ではわからないことが、本書には山ほど書かれている。「十字軍」はイスラームの側からはどう見えていたのか(あまりの野蛮さに驚き、「文明のかけらも認められなかった」)、なぜ近代以降、西洋の後塵を拝することになったのか(大航海時代でアメリカ大陸から大量の金銀を獲得したことが、逆転のキーポイントになったようだ)、産業革命がなぜイスラームでは起こらなかったのか(厳密には、蒸気機関などはとっくに発明されていたが、それを活かす社会状況にはなかった)。従来の「世界史」をよく知っている人ほど、本書は「今まで知っていた歴史を裏側からみる」面白さに満ちているはずだ。

だが、本来は「裏」も「表」もない。歴史とはそもそも、どちらの側から見るかによってまるっきりその姿を変えるものだからだ。その意味では、「イスラーム側」に視点を固定した本書の見方もまた一面的なのである。だが、これまではあまりにも「ヨーロッパ寄り」の歴史観に偏り過ぎていた。そのバランスを是正する意味で、本書を読む意味は非常に大きい。

ちなみに、本書には「日本」は一度しか出てこない(どこに出てくると思いますか?)。それほどまでに、イスラームと日本の歴史は交錯しないまま現代に至っているということだ。日本にとっても、イスラームの重要性といえばせいぜい石油の産出国であるという程度だろう。パレスチナ問題も「ジャスミン革命」も、遠い海外の出来事でしかない。

だが、本書を読めば、特に近代以降の日本とイスラーム諸国が辿った運命は、非常によく似ていることがよくわかる。独自の高度な文化を享受していたこと。そこに西洋の産業革命や民主主義が一方的になだれ込んできたこと。その中で適応しようともがき、試行錯誤してきたこと。

だが、決定的に違うのは、イスラームという強固な宗教が後者には存在したことだろう。日本は近代化へのカウンター・パワーが乏しく、そのまま「富国強兵」へと一瀉千里、西洋型の強国を目指すことができた。一方、イスラームは、近代化を常に引き戻す役割を担ってきたといえる。なぜなら、イスラームとは単なる「個人の宗教」ではなく、政治や経済、社会全体にまたがる「共同体の宗教」であるからだ。

キリスト教という宗教は本質的に個人にかかわるものであり、個々人が救済されるための青写真を提供する(略)。それとは対照的にイスラームという宗教は、共同体がいかに機能するかという青写真を提供するものである。いかなる改革運動であれ、各自が最良と思う宗教実践を行う権利を個々人に保証することを目指すような運動は、イスラームそのものの中核をなす教義に本質的に逆らうものなのだ」

だからこそ、イスラームには宗教改革が起こらず、個人に対して権利を与えるという発想にも至らなかったのだ。

ちなみに、著者はイスラーム世界を「ミドルワールド」と呼ぶ。そういえば、こないだ読んだ梅棹忠夫は、この地域を「中洋」と呼んでいた。共通するのは、この地域こそが近代までの世界史の中核であり、ここから目を逸らしては世界を読み解くことはできない、という認識だろう。

読んでよかった。イスラームについて知らないということは、世界について何も知らないということだ、ということがよくわかった。イスラム国やイスラム原理主義の勃興は、私たちの歴史的無知への代償なのかもしれない。