自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2072冊目】寺本晃久・岡部耕典・末永弘・岩橋誠治『ズレてる支援!』

 

ズレてる支援!――知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の対象拡大

ズレてる支援!――知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の対象拡大

 

 
どんな本も万人を対象にすることはないが、それにしてもこの本、さすがにちょっとマニアックというか、対象があまりにニッチ過ぎるかもしれない。だって「知的障害者への重度訪問介護」がテーマといっても、ほとんどの人はピンとこないでしょ? まあ、重い知的障害のある人が地域で一人暮らしをすることについての本と言えば、少しは見当がつくだろうか。

ちょっと前まで(実態上は、私の勤務自治体も含めた多くの地域では今でも)、重度の知的障害者の住む場所といえば、親との同居か、親が高齢になったり介護ができなくなったら、入所施設かせいぜい重度向けのグループホーム、と相場が決まっていた。そんな中で、重度訪問介護という制度の対象が、重度の身体障害者に加え、一定の条件を満たした知的障害者などに拡充されたのだ。これによって、ヘルパーを入れながら、自宅・単身で生活する可能性が大きく広がった。

施設やグループホームは、多かれ少なかれ、事業者側の決めたルールや枠組みに利用者は従わなければならない。だが、ヘルパーとなると、基本的には一対一の関係だ。そして、そうした関係になってはじめて見えてくるものがある。

それが、まさに本書のタイトルにある「ズレ」なのだ。ただし、それは「一方が正しくて、もう一方がそこからズレている」ということではない。どっちが正しいということではなく、単に「利用者である障害者と、支援者であるヘルパー」のモノの見方や考え方、さらには大げさにいえば「世界観」がズレているのだ。

だが、ズレたままでは適切な支援はむずかしい。そこで出てくるのが「おりあう」ことの重要性だ。どこで「おりあう」かは、相手の立ち位置がどのあたりであって、自分自身はそれに対してどこに立っているかによって違ってくる。ということは、支援者は単に相手のズレだけではなく、自分自身のズレにも自覚的でなければならないのである。

例えば、可燃ゴミと不燃ゴミをいつになっても分別できなかった人は、ゴミ箱の位置を入れ替えるだけで的確にゴミを分けて捨てられるようになった。駐車場に車を停めてエレベーターに乗ると必ず最上階まで行く「こだわり」があった人は、最初から車を最上階のフロアに停めるようにしたところ、単に降りるだけで満足した(その人は、最上階まで上りたかったのではなく、最上階から降りたかったのだ)。

こんな解決なら簡単だ、と思われるかもしれない。だが、「この人はゴミを分けられない人」「この人はヘンなこだわりがある人」と決めつけていては、こうした工夫はでてこない。相手だけでなく自分自身の認識や理解のズレを自覚し、認めていかなければならないのだ。

そう考えていくと、(安易なマネは危険だが)障害者以外へのアプローチでも、こうした視点は大事である。認知症のある高齢者、発達面に課題のある子ども、ひきこもりの青年……。たしかに誰もが「ズレて」いる。だが、それを見ている私たち自身も、必ずや「ズレて」いるのである。