自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2069冊目】中邑賢龍・福島智編『バリアフリー・コンフリクト』

 

バリアフリー・コンフリクト: 争われる身体と共生のゆくえ

バリアフリー・コンフリクト: 争われる身体と共生のゆくえ

 

 



ある人にとってのバリアを取り去ることが、別の人にとってのバリアになることがある。本書はそんな事例を集めた上で、どうやってもバリアのなくならない社会で、どうやって障害者と健常者の「共生」を実現するかについて考えた一冊だ。

この手の「コンフリクト」の典型例が、点字ブロックを敷設することによって、車いす利用者が移動しづらくなるというケースである。だが、こうした比較的わかりやすいもの(しかし解決はなかなか難しい)に、もっと厄介な事例もいろいろある。ここでは、本書5ページの図に沿って内容の一部をちょっとだけまとめてみる。

「新しい技術・制度の登場に伴って生じてきた問題」では、障害を「補う」ことと「増強する」ことの一筋縄ではいかない関係が紹介される。例えば、ピストリウスのような義足ランナーの場合はどうか。義足の能力が向上し、健常者の脚力を上回る性能を有するに至った場合、彼はオリンピックへの出場を認められるべきだろうか?

「技術・制度に対する人々の意識の変化に伴って生じてきた問題」では、人工内耳と「ろう文化」の関係が考えさせられる。極端な例として、人工内耳の技術が大きく進歩して「聴覚障害」自体が治るものになった場合、それまで存在するとされてきた「ろう文化」はどうなるのだろうか。

バリアフリー化の方向性をめぐる対立」では、障害者アートをめぐる議論が興味深い。これについては、次の質問を掲げるだけで十分だろう。「障害者アートは『障害のあるなしに関係なく、同じ条件で社会に向き合える』場なのか、それとも『障害があるからこそ表現できるもの』なのか?」

ほかにもバリアフリー化によって生まれる不公平感」の問題(例えば障害者雇用率やいろいろな割引制度)や、バリアフリーによる内的葛藤」(これも先ほどの「ろう文化」に重なるテーマ)など、さまざまな角度から本書は「バリアフリー」とはどういうことなのか、さらにはこの社会で障害者が共に暮らすとはどういうことなのかということを問いかけてくる。

だが、そもそも障害のあるなしに関わらず、この社会はさまざまな利害や特徴をもった人がともに暮らしているのだから、そこに「コンフリクト」があるのは、ある意味当たり前のことなのである。

バリアフリー・コンフリクトなどというテーマがここで登場したのは、それまではそうした問題が顕在化しなかったということであり、それほどに「バリアフリー」自体がなかなか進んでいなかったということなのだ。その意味では、ようやく日本の社会も、バリアフリーの「中身」「質」が問題になるところまで到達した(個人的には、まだまだそこまでは至っていないような気もするが)ということなのかもしれない。