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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【2063冊目】森政稔『迷走する民主主義』

 

迷走する民主主義 (ちくま新書)

迷走する民主主義 (ちくま新書)

 

 
前著『変貌する民主主義』は良い本だった。民主主義という「捉えどころのないもの」へ多角的に光を当てて、その「本質」と「問題点」がわかりやすく語られていた。

本書はいわばその「応用編」「実践編」。前著刊行の翌年に起きた民主党への政権交代を中心に、だいたい小泉政権あたりから最近の安倍政権までの、日本の民主主義の迷走ぶりを分析している。

特に民主党政権の「失敗」の分析は、本書の白眉といってよい(白眉のわりにはかなり長いが)。民主党政権については、当たり前のようにダメ政権呼ばわりされるわりに、「なぜダメだったのか」を論理立てて説明したものは意外に少ない(たまにあってもあまり説得力を感じない)。だが本書の分析は、明確かつ本質的なところからきっちりと行われており、単なる誹謗中傷とは違った説得力豊かなものになっている。

その内容は多岐にわたるが、一言でいえば民主党は、世の中を成り立たせている仕組みの複雑な「絡み合い」に鈍感すぎたのかもしれない。だから物事の一面だけをみて資金を投入し、かえって多方面にマイナスの効果をばらまくことになる。高速道路無料化が公共交通機関の弱体化につながり、雇用促進政策はかえって企業の雇用抑制を招く。「生活が第一」と言いながら、民主党は生活の何たるかがわかっていなかったということなのだ。

さらに、著者は民主主義、あるいは「政治的なもの」という視点から(ここでは民主党政治に限らず)日本の政治の問題点をあきらかにしていく。視点は6つあるので、個々に見ていきたい。

1つ目は「決定(決断)」である。日本の政治が「決断できない政治」と言われて久しいが、むやみやたらな決断は、かえって政治の恣意性を印象付け、かえって信頼を失う。「決断の正当性は、決断主体の法的根拠だけではなく、政治的思慮もまた求められるというべきである。そして政治的思慮は、統治の合理性についての知を背景とするものである」

2つ目は「熟議」。熟議民主主義はポピュリズムへの警戒から注目されているが、民主党は熟議を強調したわりに、実際には異論をおしつぶす政治的権力の行使が目立った。マニフェストの存在も、政策決定を過度に縛り、議論自体を封殺してしまった。

3つ目は「調整」だ。調整がなぜ重要かといえば、有権者は決して一枚岩ではないからである。さまざまな立場、さまざまな利害があるからこそ、それを調整する政治的プロセスが必要となる。マニフェストに基づきダム建設を中止するがごとき決断は、歴史的経緯に基づく地元の複雑な利害を無視するものであった。

4つ目は「統治及び統治性」。政治とは統治である。だが統治するには、その対象となる社会を知らなければならない。民主党は社会がどのように構成されているかについてあまりにも無知であった。ゆえに、権力は握ったもののどうやって統治してよいのかがわからなかった。

5つ目は「公と私」である。ここで重要なのは、現代の社会では公と私が明確にわけられないということだ。公的領域にいわゆる「私企業」が入り込む例は、福祉や教育の分野をはじめたくさんある。私企業である以上、そこには市場原理が働くわけだが、公共サービスを担う以上、単純な市場原理だけでは割り切れないのも確かである。介護サービス事業から赤字路線のバスまで、「私」による公共インフラをどうするか。

6つ目は「参加と抵抗」。これは与党と野党という考え方をかぶせるとわかりやすい。参加とはいわば与党になること、政治に参加すること。民主主義とは、選挙を通じてこの「与党」と有権者を重ね合わせるプロセスであるともいえるだろう。これを「治者と被治者の自同性」という。一方、抵抗とは野党として政府の政策に反対することもあれば、デモのような行為もある。著者はこう書いている。「民主主義には参加によって治者と被治者の同一性を実現しようとする面と、それに異議を申し立て抵抗する面の両面がつねに含まれている」

なんともややこしい。だが、こうしたややこしさに付き合っていくことが「民主主義と付き合う」ということなのだろう。わかりやすく勢いの良い「独裁」の声に惑わされず、この複雑でとらえにくいシステムをしっかりと見据え、逃げずに相対していくことが、まがりなりにも民主主義を選択した国民の責任なのかもしれない。