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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【2057冊目】岩波明『狂気の偽装』

福祉・教育・医療

 

狂気の偽装

狂気の偽装

 

 
PTSD、ゲーム脳アダルトチルドレン、殺人者精神病……。巷にはびこるうさんくさい「症状名」を一刀両断するかたわら、ホンモノの「心の病」のすさまじい実態を明らかにする一冊。

例えば、PTSD。名前だけはすっかり有名になったが、実際にPTSDを訴える人の中には、軽微な交通事故や厳しい叱責といった「トラウマ」が原因で発症したと訴えるケースも多いらしい。

だが、本来のPTSDとは「死」と結びついた疾患である、と著者はいう。「目の前に「死」の影を垣間見たものだけが、そう診断されるし、この病名を名乗る資格がある」。例えば戦争である。日本で著者が接した数少ない「本物のPTSD患者」は、地下鉄サリン事件の被害者であった。今なら東日本大震災のような大規模災害に見舞われたような場合が該当するだろうか。

むしろ「トラウマ」を過度に強調することは、ありもしない過去の虐待体験を「想起」させ、かえって病気を生み出してしまうことがある。アダルト・チルドレンなど、性格特徴を並べてみれば誰にでもあてはまってしまうようなものばかり。著者はこれについても「空疎な内容しか持たない概念」「何にでも使用可能な危険な概念」と容赦ない。

福島章氏による「殺人者精神病」も「明らかに行き過ぎ」の命名で、森昭雄氏の「ゲーム脳」に至っては「批判する価値もないほど無意味で根拠のないもの」「ただの戯れ言」「脳波の基本をまったく知らない」と全否定である。

まあ「殺人者精神病」はさすがにどうかと思うが、PTSDなどについては、どんな状況が「トラウマ」となるかはその人次第という面もあるような気がする。アダルトチルドレンについても、「万能症状」めいたうさんくささは同感だが、全否定するのはいささか行き過ぎのような。

一方で、もちろん精神疾患には深刻で重大なものも数多く存在する。本書のメインテーマは、むしろ著者自身が臨床の現場で接した、さまざまな精神疾患の実情だ。

うつ病境界例自傷・自殺に依存症と、その実態は壮絶の一言。「心のケア」とか「癒しブーム」などという「きれいな」言葉で語れない、本当の「心の闇」がここにある。特に、日本特有の現象というネット心中をめぐる考察は興味深い。著者はこんなふうに書いている。

「彼らの心を語るには「空虚」という言葉が、やはり一番適切なのかもしれない。こう言うとそんなことはわかっている、わざわざ言うほどのことではないと言われるかもしれない。しかし長い歴史を通して、現在の日本ほど本質的に空虚な社会は、非常に稀なのではないか。
 それでも多くの人は、何とか折り合いをつけて生きている。しかしこの空虚さと正面から向き合ってしまったのが、ネットパクター(注:ネット心中者のこと)なのであろう」

 



ところでここ数年、精神科への受信患者数は増加の一途をたどっている。その一因として著者が指摘するのが、外来の開業精神科医の増加政策だった。厚労省の目的は長期入院者を地域に戻すための受け皿づくりだったのだが、実際にはこれが新たな患者の「掘り起こし」につながっているという。もちろん実際に精神疾患に悩む人が増えていることもあるだろうし、町中に精神科のクリニックがたくさんできることで、これまでなかなか医療につながれなかった人がつながれるようになったというメリットもあるだろう。だが一方で、病人そのものが「作り出されている」ことも否めない。

それでも著者は、訪れる患者のために医師が力を尽くすことは重要なことだと言う。なぜなら「現在の日本において、苦しみを抱える個人が自分の問題を隠し事なく語ることができるシステムとして、コスト面においても内容面においても、病院よりも「まし」なものは存在していないから」。う~ん、なるほど。今や病院は、実際にその機能を果たしているかどうかは別として、欧米の教会のような「精神の受け皿」となっているのかもしれない。