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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【2028冊目】リチャード・P・ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』

人類・人間・人生

 

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

 

 

 

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

 

 
本書が「科学の精神」を読者に伝えてくれる掛け値なしの名著であることは、いまさら言うまでもないだろう。その「科学の精神」の正体が、いたずら心という名の実験精神と、権威や評判におもねることのない合理主義と、ユーモアという名の柔軟な心のあり方であることも、本書を読めばたちどころに伝わってくることだ。

だからここでは、本書を読んで(正確には、約20年ぶりに読み直して)心に残ったファインマンの名言を紹介するにとどめたい。どこを切っても科学の精神のかけらが見つかる、珠玉の名言集だと思う。では、どうぞ。

 



「僕は決してプロの修理工とはいえない。なぜなら僕は一応物が使いものになるように修理はしても、パズルを解くのと同じで、一体全体どこが悪いのか、どうすればこれを直すことができるか、という問題を考える「過程」の方が、よっぽど面白かったからだ」(「考えるだけでラジオを直す少年」)

「これはいったいどうしたことなのだろう? 人は皆、物事を「本当に理解する」ことによって学ばず、たとえば丸暗記のようなほかの方法で学んでいるのだろうか? これでは知識など、すぐ吹っとんでしまうこわれ物みたいなものではないか」(「ドア泥棒は誰だ?」)

「僕たちは「できるけどやらないだけのことさ」といつも自分に言いきかせているわけだが、これは「できない」というのを別な言葉で言っているだけのことなのだ」(「僕、僕、僕にやらせてくれ!」)

「僕は専門の物理についても、こういう間違いをたびたびやっている。どんな立派な理論であっても、何か複雑なことが起こってだめになるんじゃないか、と心から信用しないところがあるのだ。起こるべき結果はほとんど確実に知っていながらも、やっぱり「それでも何か未知のことが起こる可能性はある」と、ついつい思ってしまうのだ」(「ペンキを混ぜる」)

「話す相手が誰であるかなど、ついぞ気にしたことがない。僕の関心があるのは、いつも物理学そのものだけだ。だから誰かの考えがお粗末だと思えばお粗末だと言うし、よさそうならよさそうだと言うだけの話で、いとも簡単だ」(「下から見たロスアラモス」)

「そのとき、僕をはじめみんなの心は、自分達が良い目的をもってこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いてきた、そしてそれがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった。そしてその瞬間、考えることを忘れていたのだ。つまり考えるという機能がまったく停止してしまったのだ」(同上)

「するとハンスは「なかなか面白いじゃないか。だがそれは何の役に立つんだね? 何のためにそんな計算をやったんだい?」ときいた。
「なに別に何の役にも立たないよ。面白いからやってるだけさ」」(「お偉いプロフェッサー」)

「彼は僕が問題を一段階ずつ数学的に追っているのだと思っているらしいが、僕は実はそんなことをやっていはしないのだ。彼が分析しようとしているものの物理的な例を一つ頭の中に入れておいて、直感と経験からそのものの性質が、ちゃんとわかるだけのことだ」(「「ディラック方程式を解いていただきたいのですが」」)

「諸君に第一に気をつけてほしいのは、決して自分で自分を欺かぬということです。己れというものは一番だましやすいものですから、くれぐれも気をつけていただきたい」(
カーゴ・カルト・サイエンス」)