自治体職員の読書ノート

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【2018冊目】待鳥聡史『代議制民主主義』

 

 



以前から思っていることだが、中公新書の質の高さは本当に素晴らしい。特にここ数年の政治・行政関係の本は、良い意味で「新書離れ」している。雑誌の記事を水増ししたようなレベルの新書が乱造されている中、毅然として良書を送り出し続ける出版社の姿勢には拍手を送りたい。本書もまた、稠密な議論が詰まった充実の一冊であった。著者は若手(1971年生まれ)の政治学者だが、議論の構成がしっかりしていて、安心して読めるようになっている。

議会不信、議員不信が根強い。「維新の会」系の首長の独裁的手法が住民の喝采を浴び、阿久根市の市長が専決処分を繰り返したのはつい数年前のことだ。議員定数や議員報酬の削減も、国・地方を問わずいわれ続けている。だが、そもそも議員とはわれわれ国民、住民の「代表」ではなかったか。

ここで問題になるのは、この「代表」がどういう意味をもつか、ということだ。この点、政治学で以前から議論になっていたのが、議員は有権者の付託を受けて当選したのだから有権者の意思に拘束されると考えるべきか、当選した以上は有権者の意思に縛られることなく自由に行動できるか、という二者択一だ。著者の言い方にならえば、前者は「民主主義」寄り、後者は「自由主義」寄りの考え方ということもできる。

だが、そもそも代議制民主主義には、民主主義的な要素と自由主義的な要素が併存している、と著者はいう。しかも、この両者は必ずしもお互いに相容れる存在ではない。むしろ個人の自由を最大限に尊重する自由主義と、多数の民意によって人々を縛る民主主義は、かなり違ったベクトルを向いていると考えるべきである。

議員や首長は有権者から委託を受け、責任を負っている。著者は、ここには一種の契約関係があると指摘したうえで、さらにこの委託-責任関係が政治家と官僚の関係に連鎖していることを明らかにする。有権者は投票行動によって議員なり首長なりの政治家に委任を行い(国政の場合は議院内閣制なので、有権者は議員に、議員は首相に委任を行う)、政治家は政策を立案・決定したうえで、政策の実施を官僚に委託するのである。

民主主義の原理を徹底するなら、有権者の思うとおりに政治家や官僚は行動しなければならない。だが、極端に有権者寄りになりすぎると、目先の人気取り政策が繰り返され、本当に必要な政策、長期的に見て優先度の高い政策は行われないことになる。だから政治家は有権者の意図そのままに行動するのではなく、ある程度そこから離れて自由に議論をし、決定する必要がある。だが、まるっきり有権者と目指す方向が変わってしまうと、それは国民の代表として選ばれているという点からみて本末転倒だ。

だから著者は、行われるべき制度改革は過度に民主主義寄りでも、自由主義寄りでもいけないという。重要なのは両者のバランスである。この点に着目して、さらに2つの基幹的政治制度として「執政制度」と「選挙制度」を軸に、さまざまな政治体制を分析していくところに本書の主眼は置かれている。

その詳細な成果は、ぜひ本書をご覧いただきたい。驚くべきは、こうした俯瞰した視点で諸外国や日本の政治制度をとらえることで、見えてくるものが実にたくさんあるということだ。戦後日本でなぜ利益誘導政治が横行したのか。なぜ日本でも政治制度改革が行われたのか。なぜ日本の政治は「決められない政治」か「決めすぎる政治」の両極端に振れやすいなのか。こうした疑問が、執政制度と選挙制度というスコープと、自由主義と民主主義というエレメントを適用することによって、みごとに解き明かされていく。安直な政治家バッシングや官僚バッシングでは、結局のところ何も解決されないのである。