自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2002冊目】中島義道『差別感情の哲学』

 

 

差別感情の哲学 (講談社学術文庫)

差別感情の哲学 (講談社学術文庫)

 

 

「差別をしてはいけません。差別をする人は人間のクズです」

さて、これは「差別」だろうか。ちょっと考えてみてください。

差別の問題は、考えれば考えるほど、その根の深さに気付かされる。少なくとも、「差別者」を糾弾して事足れりとなるような、なまやさしい世界ではない。差別者の糾弾という行為さえ、冒頭に挙げた言葉のように、ヘタをすれば「差別者に対する差別」になりかねない。

本書は、人の「差別感情」と正面から切り結んだ一冊である。人のさまざまな感情と差別の関係を丁寧にときほぐした結果、見えてくるのは、差別感情のもつ一種の「宿命」だ。人間が感情の動物である限り、そこには差別の色合いがつきまとう。そこを直視することなくして、いかなる差別論も成り立たない。

他者に対する不快や嫌悪の念が差別に結びつくのは、まだわかる。厄介なのは「誇り」や「自尊心」のような肯定的感情が、実は差別によって裏打ちされていることが多いということだ。さらには集団への帰属意識も、「集団のために一部の人間を排斥する」というカタチで、やはり差別とつながってくる「よいこと」こそが、実は差別の淵源にほかならないのである。魔女狩りをした人々も、ヒトラーナチスの高官たちも、決して極悪人ではなく「良いことをしようとした人」だったのだ。ここに問題の難しさがある。

「われわれ人間が「よいこと」を目指す限り、差別はなくならないであろう。いや、「よいこと」を目指す人がすべて同時に差別を目指していることを自覚しないうちは、彼が自分は純粋に「よいこと」だけを目指し、他人を見下すことは微塵も考えていないという欺瞞を語る限り、なくならないであろう」

とはいえ、ではどうすればいいのか。差別感情を持たないためには、感情そのものを捨てるしかないのか。それはあまりにも非現実的だ。著者が提案するのは自己批判精神」と「繊細な精神」をもつことだ。自分が潜在的な差別者であることを批判的に自覚するとともに、「いかなる議論も人間の複雑なあり方を丹念に辿っていく態度に」基づくよう心がけるのだ。

差別の問題に観客席はない。すべての人は、差別者であって、同時に被差別者なのだ。ここが本書の議論の出発点であり、結論である。一見逆説を弄んでいるようにも見えるが、実はきわめて丁寧でまっとうに議論を尽くした「差別の哲学」の一冊。