自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1997冊目】江川卓『ドストエフスキー』

 

ドストエフスキー (岩波新書)

ドストエフスキー (岩波新書)

 

 

ドストエフスキーは、死の床で「聖書占い」をやったという。ページをパラパラめくって、最初に出てきたイエスの言葉を使うというものらしいが、その聖書が「ロシア語訳新約聖書」であったという謎解きから、この本は始まる。

その背景にあったのは、ロシアにおける二重言語状態である。ロシアでは、10世紀、キリスト教を布教するために「教会スラヴ語」という人工言語がつくられた。11世紀以降、この教会スラヴ語は公用語として指定され、教会や官庁などの文書に使用された。一方、民衆はそんな人工言語には手を出さず、土着の古代ロシア語を使っていた。両者はなんと18世紀までロシアの中で並立していたという。

それだけではない。教会スラヴ語の背後にはビザンチンキリスト教文化が、古代ロシア語の背後にはスラヴ土着の異教文化があった。つまりロシアという国の中で、外来のキリスト教と土着の異教文化が併存していたのだ。そんな状態であるから、教会スラヴ語で書かれた聖書は民衆にはちんぷんかんぷんだったらしい。だからこそ、民衆の用いるロシア語で書かれた「ロシア語訳新約聖書」は、登場するやたちまちベストセラーになったという。

この「キリスト教文化」と「ロシアの土着文化」の二重性が、実はドストエフスキーの作品にはさまざまなかたちで織り込まれているという。それは登場人物のモデルであったり、あるいはちょっとした地口やユーモアだったりする(このあたりは、翻訳だけでドストエフスキーを読んでいるとなかなか分からない)。この「二重性」「多義性」こそが、ドストエフスキー解読のカギだと著者はいう。

このあたりは、明治維新以後の日本の作家の、西洋と日本に引き裂かれる苦悩を思わせるものがあるが(特に夏目漱石)、それは急激な西洋文化の流入があってこその話だ。ロシアはそれが800年とか900年にわたって続いたのである。漱石は明治の日本を「上滑りの近代化」と呼んだが、それならロシアは数百年にわたり「上滑り」してきたことになる。だからこそ、ロシアは複雑だし、根が深いし、外野からみればいろいろおもしろいのだろう。