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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1986冊目】松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』

 

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

 

 

男にはけっして届かない世界の、その内側の内側を、内なる視線から綴った一冊。

書かれているのは女性同士の恋愛であり、セックスなのであって、それはもうエロティックなことこの上ないのだけど、でもそこに漂っているどうしようもない切なさ、人と人がどんなに肌を交えても届かない距離感のようなものが、この小説を単なるエロ小説ではないものにしている。

ならこれを何小説と呼べばよいのか、と考えると、なかなかこれが悩ましい。恋愛小説というのか、青春小説というのか、あるいはストレートに「女性小説」と呼ぶべきなのか。まあそれは何でもよいのだけれど、とにかく人と人の魂の距離みたいなものが、ここまで切実に、痛々しく描かれている小説はあまりないように思う。

乳房から「池」から「池の手前にある小石」から「その後ろの沼」までを(このメタファーがものすごい。「どの部分」を指しているのか、わかりますよね)、指やら「プラスティックの短刀」やらピンプラグやら葛湯やら煙草やらで弄ぶ、その描写だけでもスゴイのだけど、実はこの小説で一番エロスを感じたのは、「私」と由梨子が旅先の宿で深夜の調理場に行き、蛸を素手で引き裂いてむさぼり食うシーンだった。「食」と「エロ」がつながっているのは以前から感じていたが、それをこれほど鮮烈に突きつけてくるとは。

キャロル・キングが作り、アリサ・フランクリンが歌った曲からの「ナチュラル・ウーマン」というタイトルも、意味深で切実。思えば女性が「ナチュラル・ウーマン」でいられることって、つまりは「女」であるということって、どういうことなんだろうか。娘でも、妻でも、母でもなく。それはどうやら女性にとっては、とんでもなく難しい綱渡りのようなことであるらしいのだ。