自治体職員の読書ノート

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【1976冊目】生井久美子『ゆびさきの宇宙』

 

ゆびさきの宇宙――福島智・盲ろうを生きて (岩波現代文庫)

ゆびさきの宇宙――福島智・盲ろうを生きて (岩波現代文庫)

 

 

盲ろうの東大教授、福島智の半生と思想を追ったノンフィクション。

目が見えないだけなら、声は聞こえる。耳が聞こえないだけなら、文字は読める。でも、どっちも閉ざされてしまったら、人はどうやってコミュニケーションを取るんだろう。

ヘレン・ケラーは、サリバン先生に「WATER」と手のひらへ書いてもらうことで、世界が開けた。福島氏にとってそれに相当するのは、指点字という方法だ。考案したのはお母さんだった。

点字は六つの点の組合せで五十音などを表す。だったら、点字のタイプライターを打つ指先に、直接ポンポンポンと打ってみたらどうか。言われてみれば納得だが、これを考案したお母さんはものすごい。コロンブスの卵とはこのことか。

だが、本当に福島氏にとって「革命」となった方法は、その次の段階で生まれた。それが「指点字通訳」だ。指点字はふつう、福島氏に話しかける時に行う。だが「指点字通訳」は、目の前で交わされている会話そのものを、直接指先に打っていくのである。全盲の先輩である三浦佳子の考案だった。

自分へのメッセージを伝えるより、他人同士の会話を伝えるほうが「コミュニケーション革命」になるということに、まず驚いた。だが、言われてみればそうかもしれない。自分に向けられたメッセージは、あくまで自分と相手、一対一の関係だ。だが、指点字通訳は多対多の関係をそのまま持ち込むことができる。もちろん、自分もそこに入って発言できる。つまり「社会」がそこに生まれるのだ。

福島氏は、まぎれもなく盲ろう者のパイオニアである。光も音も届かない闇の中で、文字通り手探りしながら、予備校に通い、盲ろう者で初めて大学に進学し(しかも博士課程まで進んだ)、「全国盲ろう者協会」の設立と共に理事になり、結婚し、東京大学教授になった。TIME誌の「アジアのヒーロー」に、松井秀喜らと共に選ばれた。世界盲ろう者連盟総会で、アジア代表として出席、報告を行ったこともあった。

だがそれは、福島智というひとりの人間が背負うには、いささか重すぎる荷であったのかもしれない。適応障害と診断され、休養を余儀なくされたこともあった。本書は、福島氏のそんな「人間的な」一面にもしっかりと光を当てつつ、魅力的なユーモア感覚や本音の暴露も含めて、その人間像を多面的に描き出していく。

印象的だったのは、その中で福島氏が何度も「なぜ生きるのか」「私は何をするために生かされているのか」と問い直していることだった。なるほど、と思ったのは、「皇室の方々が経験なさっているであろう苦悩にある種の共感をもちます」と語っているところ。なぜなら「自分では選んでいないのに、あるいは選んだからこそ、役割を果たさなくてはならない」から。

たしかにそうなのだろうが、だからといってその「役割」を誰もが引き受けられるとは限らない。しかも「盲ろう」という大きなハンディキャップを背負ったうえで、である。そこを引き受けているのは、やはり福島智という一人の人間なのだ。障害というある種の「偶然」を「必然」として受け止め、自らの運命を切り開いていこうとする強さとしたたかさを、私はこの本から強く感じた。