自治体職員の読書ノート

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【1974冊目】丸山正樹『デフ・ヴォイス』

 

デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士 (文春文庫)

デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士 (文春文庫)

 

 

驚くべき小説。「ろう者」の世界をここまでのディテールで描き切った小説は、寡聞ながら他に知らない。

主人公は警察の事務職を辞め、手話通訳で生計を立てることにした男である。だが、手話に対する男の思いは複雑だった。彼はろう者の両親のもと、ろう者の兄の弟として生まれた聴者、「コーダ」だったのだ。

ろう者、聴者という言い方は聞いたことがあったが、コーダというのはこの本で初めて知った。ちなみに公式には、聴覚障害者と言い、健常者(もしくは健聴者)というが、ろう者側は「ろう者」「聴者」というコトバを使う。そのあたりの説明や背景にある考え方も、本書の中にさりげなく織り込まれている。

徐々に見えてくる事件の全貌、主人公が警察を辞めた理由、家族への屈折した思いなどが、読むうちに少しずつ明かされる。著者はこれが初めての小説らしいが、この「伏せたものを徐々にあけていく」手際がほんとうにうまい。最初の方で書いてしまった方が楽なのだろうが、あえていろいろな事情を後ろの方まで隠しておくことで、読者の気持ちを最後までそらさずに引き付けていくのである。

一方で、事件の真相や犯人については、正直言うと早い段階で見当がついてしまったのだが、これはまあやむを得ないだろう。むしろ謎解きを小道具にしつつ、ろう者というもうひとつの「見えざる世界」を描き出すところに、著者の狙いがあったのだと思う。「あなたはこっち側? それともあっち側?」という問いかけに、今まで見えなかった、ろう者と聴者を隔てる見えない境界線が見えてくる。