自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1959冊目】池田晶子『41歳からの哲学』

 

41歳からの哲学

41歳からの哲学

 

 

この「読書ノート」はこれまでいろんな本を取り上げてきたが、書く際に、するするとあまり悩まず書き始められる本もあれば、なかなか出だしが決まらない本もある。

読んでいて感銘を受けた本、いろいろ感じることや考えることがあった本ほど、書きだすのが難しい。自分のなかにあふれている言葉の渦のようなものが、あれもこれも書いて書いて、と騒ぎ立てているような感じなのだ。書いてみてなんだかごちゃごちゃしていたり、騒がしい感じがして読みにくい読書ノートは、たいていこの手の本だ。だから、実はそっちのほうが、良い本が多いんですよ。

それほど大したことのない本のほうが、書きやすい。自分の中にヘンなこだわりがないのが良いのだろう。とっかかりを見つけて、そこから本の全体を眺め渡して、感じたこと、印象に残ったことを素直に書けば、たいてい一丁上がり、である。

ちなみに、もっとひどい本だととっかかりすら見つからないこともあるが、そういう本は最初っから書かないし、途中で放り投げるので、読書ノートに登場することはない。したがって、読んでも読書ノートを書かない本のタイプは2種類。最低最悪の部類の本と(これがまた多いんだ)、素晴らしすぎて言葉にならない本、である。

とまあ、本の中身に入らずにぐだぐだ書いていることから分かると思うが、本書はとても良い本だった。あまりにも書いておきたいこと、印象に残ったことがありすぎて、頭の中が暴風雨のようになっている。こういう時は、「切り捨てる」ことが大事。なので、ここはあえて一つだけ、強烈なインパクトを受けたくだりを引き抜いておく。哲学とは、おそらくこのことに尽きるのではないか、と思った部分である。

後は、気になるならご自身でお読みください。だいたい、本なんてものは、最後は自分で見つけ、自分で判断するしかないのである。

「人生の時間は有限なのである。全く当たり前のことなのだが、いつも人はそれを忘れる。忘れて他人事みたいに自分の人生を生きている。時間は前方へ流れるものと錯覚しているからである。人生は、生から死へと向かうもの。死は今ではない先のもの。しかしこれは間違いである。死は先にあるのではない。今ここにあるものだ。死によって生なのであれば、生としての今のここに、死はまさにあるではないか。
 こういう当たり前にして不思議な事実に気がつくと、時間は前方へ流れるのをやめる。存在しているのは今だけとわかる。流れない時間は永遠である。一瞬一瞬が永遠なのである。有限のはずの人生に、なぜか永遠が実現している。永遠の今は、完全に自分のものである。人生は自分のものである。この当たり前には、生きながら死ななけりゃ気づかない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。来たるべき年に幸あれ」(p.56)