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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1955冊目】橋爪大三郎『はじめての構造主義』

 

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

 

 

奥付をみると、手元にあるのは2014年6月の第50刷となっている。「第二版」の文字はない。第1刷が1988年発行だから、なんと四半世紀以上にわたって改版されないまま売れ続けていたということである。絵本や小説ならともかく、こうした思想系の解説書でこの「息の長さ」は尋常ではない。

むろん、アプローチの仕方は現代でも十分に通用する。構造主義全体をまんべんなく扱うのではなく、レヴィ=ストロースの「親族構造論」「神話論」をがっつり深彫りし、構造主義の核心を掴みだしてくる大胆さ。さらに数学、とりわけ射影幾何学と比較することで、構造主義の本質をあぶり出していく意外性。それらをつなげていく手並みの鮮やかさ。いずれもすばらしい。

親族構造論では、インセスト・タブー(近親相姦)に対する分析がおもしろい。実は、どの部族でもインセスト・タブーは禁止されているのだが、その範囲は部族によってまちまちで、禁止されている理由についての明確な説明がなかなかつかないのだという。そこでレヴィ=ストロースの登場である。彼は「価値があるから交換されるのではなく、交換されるから価値がある」というマルセル・モースの「発見」を親族間の婚姻に重ね、婚姻を「女性という財のやりとり」と捉えることで、従来の考え方を180度ひっくり返してみせた。

「社会のいちばん基本的な形は、交換のシステムである。その交換は、利害や必要に基づくのではなく、純粋な動機(交換のための交換)にもとづくものだ。しかし、それらが、その「価値」ゆえに交換されるとか、利害動機や機能的な必要にもとづいて交換されるとか考えるわけにはいかない。あくまでも、交換のための交換が基本であり、それが特殊に変化・発達して行った場合にだけ、いわゆる経済(利害に基づいた交換)が現れるにすぎない」(p.103-104)

さらに、数学に構造主義をなぞらえるくだりは、構造というもの(「もの」ではないのだが)の本質をびっくりするほどわかりやすく説明していて、本書の白眉というべき章である。数学を例に取ることで構造主義などという現代思想が分かりやすくなるなんて意外きわまりないのだが、事実なんだからしょうがない。

例えば、正方形と台形は、四角形という同じ群(変換群)に属する。本書の説明の文脈でいえば、視点が移動すると、図形は別なかたちに変化する(射影変換)。だが、その時でも変化しない性質(正方形が台形になっても、四角形という性質は変化しない)を「構造」と呼ぶのである。

「〈構造〉と変換とは、いつでも、裏腹の関係にある。〈構造〉は、それらの図形の「本質」みたいなものだ。が、〈構造〉だけでできている図形など、どこにもない。〈構造〉は目に視えない」(p.168-169)

そうなのだ。構造とは、「図形」やら「親族関係」やら「神話」やらがもっているにもかかわらず、そのものは決して目に視えないのである。そして、そこでは「主体」も消えてしまう。主体による視点の移動から解放されなければ、そもそも構造は浮かび上がってこないからだ。

もっとも、こうした発想にインパクトを感じるためには、本当はそれまでの西洋近代主義に骨の髄までどっぷり浸かっていなければならない……と、著者は最後に書いている。だから、本当に日本人に必要なのはポストモダンじゃなくて、むしろ、自前のモダニズム」なのである。これこそが、明治以降の(まっとうな)日本の知識人のすべてが頭を抱えたことであった。漱石のいう「上滑りの近代化」は、ここにも姿をあらわしていたわけである。思想をブランドのように「着こなす」ことしかできないうちは、本当にそれが分かったとは言えない、ということか。