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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1944冊目】小川洋子『いつも彼らはどこかに』

せつなさ・いとおしさ・なつかしさ

 

いつも彼らはどこかに

いつも彼らはどこかに

 

 

チーターは、英語でcheetahと綴る。最後のhに着目して、「私」はこう思う。

「いつからチーターの一番後ろには、hが潜んでいたのだろう」

「そのチーターという響きの中に、確かに発音されることもなく、あるのかないのかさえはっきりしないままに、hが付け加えられていた。誰がそんなところにhを隠したのだろう」

突然だが、小川洋子の小説が描いているのは、このhのようなものではないかと思う。いないようでいて、そこにいる。見えないけれど、気配を感じる。かそけきもの、弱くてはかないものをこそ、この人は徹底していとおしみ、言葉につむいできた。

例えば「帯同馬」の試食販売人は、声も小さく、いることにさえ気づかれないが、その特売品を必要としている人を見抜くことができる。「目隠しされた小鷺」の主人公は、小さな美術館でひっそりと受付をしていて、移動修理屋の奇妙な老人と心を通わせる。「竜の子幼稚園」では、他の人の身代わり品を特殊なガラスに入れて「旅の代行」をする女性が出てくる。

彼らは、人の目にほとんど触れず、目立つことも評価されることもほとんどない仕事をしている。もっとも世間に縁のないような仕事で、彼らはかろうじて世界とつながっているのだ(浮世離れしているようで、誰もが「仕事」を持っているところが面白い)。彼らは同類を見分ける目を持っているように見える。同じように世界の隙間にひっそりと身を隠し、静かに息をしている仲間を。チーターのhのように、音に出すと消えてしまうが、文字にすると見えるような。

そして、どの短編にも動物が登場する。動物との静かな共鳴が小説の空気をふるわせ、世界の向こう側への回路をわずかに開く。その光景を感じたくて、いつも小川洋子の小説を読むのだが、いまのところ、一度としてその期待が裏切られたことはない。