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自治体職員の読書ノート

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【1943冊目】ロジャー・クック『生命の樹』

情報・イメージ・ことば

 

生命の樹 -中心のシンボリズム-     イメージの博物誌 15

生命の樹 -中心のシンボリズム- イメージの博物誌 15

 

 

古来、世界には「中心」があった。宇宙軸、あるいは世界軸(アクシス・ムンディ)と呼ばれるそれは、山や柱、そして多くの場合、樹木によって表された。本書はその「中心の樹」、特に「生命の樹」と呼ばれる古今東西のイメージを網羅した一冊だ。今でいうムック本のサイズで、頁全面に広がる「生命樹」の図版は、圧巻の一言。

生命の樹」については、さまざまな神話や伝承の中で、繰り返し語られてきた。古代の帝国アッシリアの遺物には、すでに聖なる樹を崇拝する王の姿が描かれている。エジプトでは、無花果の樹が「生命の樹」として地下から生命の樹液を吸い上げて天の不老不死の霊薬となるとされ、北欧神話では、世界樹イグドラシルが天上から地下までを貫いている。

インドネシアのシャーマンを他界に運ぶ「魂の舟」からも生命の樹は生えているし、ネイティブ・アメリカンのオグララ・スー族もまた、生命の樹を世界の中心として描いた。有名なところでは、ブッダが悟りを開いた場所こそ菩提樹の下であって、つまりは「世界の中心」だったのだ。

さらに驚くべきことに、キリストが架けられた十字架もまた、世界の中心たる樹木のヴァリエーションだった(本書には、キリストが架けられた十字架を「生命の樹」として描いた14世紀イタリアの宗教画や、横たわるマリアの身体から生えた樹が十字架となって、そこにイエスが架けられているギョッとするような絵が紹介されている)。ちなみにアダムとイブが食べた禁断の実は「知恵の樹」からもいだもので、神が二人を追放したのは、エデンの園に生えている、永遠の命を得られる「生命の樹」の実を食べられないようにするためだった。

ミルチア・エリアーデ「中心のシンボリズム」と呼んだ。ユング「宇宙樹の包括的イメージは、中心にあって根と枝で天と地を結びつけ、それゆえ、無意識の源泉(根)、意識の現実化(幹)、個性化の「意識を超えた」終着点(花冠)などをあらわす最もぴったりした象徴」であると考えた。そもそもユングが樹木のイメージに着目したのは錬金術研究からだったのだが、ヨーロッパの神秘思想や宗教思想にも、生命の樹は大きく影響した。12世紀のフロリスの聖ヨアキム(フィオーレのヨアキム)は、歴史を大きく三段階に分け、父・子・聖霊の三位一体をそこに配当した上で、生命の樹のイメージを重ね合わせた。

生命の樹がもっともシンボリックに表現されたのが、カバラで重視されたセフィロト(セフィロート)だろう。これはケテル(王冠)を頂点に、10の「神の属性」を相互の関係の網のなかに配列したもの。神の流出物であって、神と人間と宇宙を結びつけるものであるとされている。ちなみにこのセフィロートは「さかさまの樹」としても描かれる。根っこが天にあって、そこから流れ込んだ神の属性が、下を向いた「葉」から流出するのである。この「さかさまの樹」のイメージもまた、インドなどでも見られるという。ここでも洋の東西の奇妙な符号がみられて面白い。

こうしたイメージは、現代ではアートの分野で表現され続けている。モンドリアンブランクーシカンディンスキーらがその担い手だ。だが私が気になったのは、パウル・クレーの次の言葉だった。人間の創造性を、クレーは樹木のイメージで捉えていたのかもしれない。

「(芸術家が)樹の幹の指定された場所で行うべきことは、深みより上昇し、そこを通過する樹液を採取することのみである。彼は奉仕もしなければ命令もせず、ただ仲介するだけなのである。彼の立場は謙虚なものである。彼自身が花冠の美となるわけではなく、それは彼を通過していったにすぎないのである」