自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1938冊目】木村草太『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』

 

集団的自衛権はなぜ違憲なのか (犀の教室)

集団的自衛権はなぜ違憲なのか (犀の教室)

 

安保法制審議もいよいよ大詰めだが、今さら何がどうなっているのか聞けない、という方もおられよう。本書は、節目節目での著者の発言をまとめた一冊なので、キャッチアップするには最適。ただし、法律的な議論の仕方に慣れていないと、途中いささか苦労するかもしれない。

ある政策が「政策として妥当かどうか」という問題と「法律上認められるかどうか」という問題は、当たり前だが、分けて考える必要がある。「政策として必要だから、法律を曲げてもやるべきだ」という考え方は許されない。

普通の法律であっても、法治主義国家のもとではそれが当然である。ましてや、その「法律」が「憲法」であるなら、何をかいわんや。だが、集団的自衛権をめぐる議論をみていると、どうもこの「政策としての必要性」と「憲法によって許容されるかという憲法適合性」の問題がごっちゃになって論じられていることが多い。

本書がある意味スッキリしているのは、著者が、基本的には政策の当否は脇に置いたうえで、法律学のベースで議論を進めるという姿勢が一貫しているためだろう。そのロジックも、さまざまな時期・媒体に発表されたものを集めたにしては、一冊の本のなかで非常に明快なものとなっている。

では、著者の主張に沿って、その内容をざっと俯瞰してみよう。便宜上、論理のステップごとに番号を振っておく。

1 そもそも集団的自衛権は、国際法上、国家に認められた権利である(国連憲章第51条)。

2 もっとも、与えられた権利を行使するかどうかは、その国が自ら判断することであり、国内法によってその可否が規定される。

3 では、国内法の最高法規たる憲法は、集団的自衛権の行使を認めているか。

4 この点、憲法には集団的自衛権の行使を禁止する規定は存在しないことから、これを認めていると考えるべき、との主張がある(例えば石破茂)。

5 しかし、憲法第9条は全体として武力行使そのものを禁止している。集団的自衛権武力行使の一部であるから、原則的には、憲法第9条において禁止されていると考えられる。

6 もっとも、憲法第9条が一定の例外を許容している場合には、その例外の範囲内で武力行使が可能になる。

7 では、憲法第9条はかかる例外を認めているか。

8 思うに、憲法前文における平和的生存権の宣言及び憲法第13条における幸福追求権がそれぞれ明記されていることから、これらを満たすことを目的とした「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」を採るために必要な武力行使は、例外として憲法上許容される。

9 では、集団的自衛権は、かかる例外に該当するだろうか。

10 そもそも集団的自衛権とは、直接的には他国を守ることを目的とした権利であって、集団的自衛権の行使がすべて「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」であるとはいえない。

11 一方、個別的自衛権については、国家が自国を守るために行使されるものであり、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」であるといえる。そのため、個別的自衛権は上記要件に該当し、憲法上許容されると解される。

12 では、集団的自衛権は、上記要件にいっさい該当しないと言えるだろうか。

13 思うに、集団的自衛権の行使であっても、それが結果的に「自国の平和と安全を維持しその存立を全うする」ため必要であれば、同様に憲法上許容されると考えられる。

14 しかし、かかる必要性が認められるケースは、通常、個別的自衛権と呼称される。言い換えれば、憲法上許容される範囲内に含まれる集団的自衛権は、結果として同時に個別的自衛権でもあることになる。

15 したがって、集団的自衛権が同時に個別的自衛権でもある場合、憲法上許容される。

16 もっとも、この場合は単に個別的自衛権の行使として取り扱うことが可能であるから、そもそも集団的自衛権として別個に取り上げる必要性は存しない。

17 また、憲法第73条は内閣の行い得る事務について規定しているが、ここに「軍事力の行使」は含まれない。個別的自衛権であれば、自国の国民の安全確保の観点から行われる警察行政及び消防行政の延長線上に位置づけることが可能であるが、集団的自衛権はこれらに該当せず、他に該当する項目もない。

18 したがって、集団的自衛権の行使は内閣の権能を定めた憲法73条に違背する。

19 以上より、集団的自衛権の行使は、それが同時に個別的自衛権にも含まれる場合を除き、違憲である。

さて、このような議論の進め方の良いところは、著者が書くように、感情論を排した合理的な議論が可能になる点である。これに反対する場合は、議論のどの段階で、どのような根拠や論理構成によって反対するのかを明示して反論すればよい。それにより、論点が明確化される(ちなみに、私自身も上の議論の内容自体に100パーセント賛成しているわけではない。今書いているのは、あくまで「議論の進め方」についてである)。

ちなみに、著者自身が展開している議論のポイントは、本書のタイトルに反して、集団的自衛権は100パーセント違憲ではない、としている点である。個別的自衛権であると同時に集団的自衛権である場合なら、行使も合憲なのだ。

実は、本書で再三取り上げられているとおり、14年7月1日の閣議決定は、「個別的自衛権と重なる範囲で、集団的自衛権の行使が認められる」という内容である。その意味で、本書の主張は実は閣議決定にも沿うものであり、なんら目新しい内容ではない。

だが、それだったら、なぜあえて集団的自衛権を認めるべく法改正が行われようとしているのか。どうせ個別的自衛権の行使として説明できてしまうのだから、あえてそんな改正を行う必要はないはずだ。

ということで、法律論としては思いのほか明快ながら、それだけでは済まないうさんくさい匂いがしてくるのが今回の議論なのだ。進め方の性急さ、閣議決定と閣僚の発言のズレ、そもそも立憲主義の基本すら理解していないと思われる総理大臣発言など、挙げていけばキリがない。

法律は生き物である。今回、可決されたとしても(多分されるだろうが)、その違憲性は法廷の場であらためて検証される。著者は、これによって国が莫大な訴訟リスクを抱えることになると指摘するが、まさにそのとおりだろう。それとも安倍総理は、内閣法制局長官をすげ替えたように、裁判官も「お友達」で固めるつもりなのだろうか?