自治体職員の読書ノート

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【1879冊目】武田泰淳『司馬遷 史記の世界』

 

司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)

司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)

 

 

紀伝体

司馬遷以前、中国の歴史書はすべて「編年体」で書かれていた。それを変えたのが『史記』である。前漢武帝時代に編纂されたこの書が、その後の歴史書のスタイルを一変させた。

編年体は文字通り、時間の流れに沿って出来事を記述する。そこには時間軸しかない。一方、紀伝体は(いろんなバリエーションはあるが)「本紀」「世家」「表」「列伝」のような項目から成っている。そこで主役となるのは「人間」である。その背後にあるのは、人間こそが歴史をかたちづくるという思想であろう。

中心となるのは「本紀」である。これは皇帝や王など、世界の中心となって世界を動かした人間について書かれたものだ。ただし、そこに登場するのは、必ずしも正統の天子だけではない。劉邦と争って敗れた項羽も、孝恵帝の代にあって圧倒的な権勢をふるい、暴虐を尽くした呂后も、本紀の中で取り上げられている。司馬遷が着目したのは、単なる地位ではなく、事実上の絶対者、世界の中心となったのが、どのような人間であるか、ということだった。

その周辺に、世家(諸侯に関する記述)、表(年表や月表など)、列伝(その周囲にあった人間)が配置される。これによって見えてくる史記の世界の全貌とは、時間軸のみの単線的な編年体とは異なる、空間的なベクトルの加わった世界像である。そしてそれは、人ごとに分断されているようでありながら、全体として持続した「絶対持続」の世界観でもある。

だが、司馬遷はなぜ、このような世界観を持ち、それをこのような形であらわすに至ったのだろうか。

著者はそこに、2つの転機があったと考える。ひとつは父・司馬談の死であり、もうひとつは匈奴に囚われた李陵をかばい、腐刑を受けたことだ。

父は太史令という職にあり、国家の典礼を司り歴史を記述する立場であったにもかかわらず、泰山を祭る盛儀に列席できず、屈辱のうちに世を去った。その憤りを受け継いだ司馬遷がなすべきは、父の後を継いで歴史を書きつづけることであった。

追い打ちをかけたのが、腐刑の屈辱である。本書は「司馬遷生き恥さらした男である」とはじまる。まさにやるせない屈辱と憤りの中で、司馬遷はこの未曽有の歴史書に向かったのだ。

憤りをもって歴史を書くには、出来事を並べるだけの編年体では不足であった。歴史をかたちづくった人そのものに食い入り、そこから歴史を綴ることが、おそらくは必要だった。それも、成功者ばかりではない。むしろ敗者や脱落者、英雄豪傑ならばこそ味わわざるをえなかった「真に忍び得ぬ悲しみ」をこそ、司馬遷は描きたかった。そのような人々の感情の織りなりによって創られたのが、司馬遷にとっての「歴史」であり「世界」だったのだ。いいかえれば、歴史とは人間であり、人間が歴史なのだ。それがおそらく司馬遷の確信であり、そして武田泰淳自身の確信なのだろう。