自治体職員の読書ノート

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【1870冊目】クロード・レヴィ=ストロース『構造・神話・労働』

 

構造・神話・労働 (新装版)―クロード・レヴィ=ストロース日本講演集

構造・神話・労働 (新装版)―クロード・レヴィ=ストロース日本講演集

 

 

1977年の秋、レヴィ=ストロースは6週間にわたり日本を訪れた。富山の山村や隠岐の漁村、輪島の伝統産業などを巡る一方で、3回にわたる一般向けの講演と、2回にわたる対談が行われた。本書はそのすべてを収録したもので、レヴィ=ストロースの思想がきわめてわかりやすくまとめられていることに加え、日本の社会や文化に対する考察が活き活きと描かれた一冊だ。

その、滞日中の講演・対談のテーマが、本書の邦訳である「構造」「神話」「労働」である。まず「構造」については、まさにこの人物の十八番ともいえるテーマであるが、レヴィ=ストロースの方法の核心ともいうべき部分が、非常にクリアな形でまとめられている。

そもそも構造とは「要素と要素間の関係とからなる全体であって、この関係は、一連の変形過程を経て不変の特性を保持する」(p.37)ようなものをいう。ポイントは、あるものを「要素」(内容)のみによって捉えるのではなく、それぞれの要素の「関係」のありようによっても捉えるようにする、ということだろう。

別のところではこれを「個々の事象そのものを考察するかわりに、事象間の関係を考察することによって、あらゆる科学的説明がめざしているものを引きだすことができる」(p.126-7)とも言っている。この考え方をさまざまな文化や習俗に適用することで、レヴィ=ストロースらは、一見とりとめのない複雑な形態から、一定のシンプルな枠組みを取り出し、他の文化や民俗とくらべることができたのである。

次の「神話」については、まず神話の本質を「連続と不連続の間の一種の調停」と言いきっているところが興味深い。神話の方法として「二項対立」「変換」「媒介」の3つを挙げているところも鮮やかで、先ほどの「構造」の方法論が見事に適用されているのがわかる。神話を読み解くとは、さまざまな要素そのものに注目するだけでなく、それらの関係をこのように位置づけ、解釈することなのである。

その上でレヴィ=ストロースが残した「文字をもち近代的科学思想を手に入れるに至った今日の社会においてもなお、神話が存在しうるだろうか」(p.81)という問いかけには、いろいろ考えさせられる。もちろん、神話はさまざまな形をとって存在しうるし、実際に「神話の断片」はあちこちに転がっている。中でも、神話の特性をもっとも保持しているのが「歴史の使い方」であるという指摘は、なかなかに深い。ちなみにその理由は「歴史はもとより過去を理解するのに役立っていますが、同時にわれわれの現在を解釈し、未来に向けて働きかけるのにも使われているから」(p.82)とのことである。

最後の「労働」のパートは、レヴィ=ストロースの日本観察がもっともするどく現れており、日本と西欧の労働観比較として面白い。レヴィ=ストロースによれば、西欧の労働とは「パンを稼ぐ」ためのやむなき苦役であり、神によって課せられた「罰」であるという。したがって、彼らが人生に求めるものは労働の外のもの、つまりは「余暇」なのだ。

一方、日本人の場合、そうした「人生と労働の断絶」はみられないという。特にレヴィ=ストロースが見てきた伝統的技術の担い手たちにとって、労働は聖なる感情、宗教的感情を伴うものであった。それ以外の場合でも「仕事が生きがい」という日本人は少なくない。これは西欧の労働観とは大きく異なるものであるという。

この指摘には唸らされた。もちろん、日本人の過剰な労働時間や労働依存がこれだけで説明できるわけではないが、なぜ西欧人はあんなにバカンスを長くとるのか、仕事とプライベートをはっきり分けるのかが、この説明で少し見えた気がした。そして、なぜ(私も含む)日本人が、仕事にやたらと「やりがい」や「自己実現」を求め、過剰なまでのオーバーワークをも厭わないのか、も。

むろんこれは、わずか6週間の滞在の間に観察した結果にすぎず、考察として十分に深められたものとはいえない(レヴィ=ストロース自身、何度もそう念を押している)。だが私には、短期間の滞在でこうした洞察に達することができたことのほうが驚きであった。その観察力と理論構築力は、やはりさすがというべきであろう。