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自治体職員の読書ノート

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【1848冊目】井筒俊彦『イスラーム生誕』

原理・思想・宗教

 

イスラーム生誕 (中公文庫BIBLIO)

イスラーム生誕 (中公文庫BIBLIO)

 

 

どんな宗教も、まったくのゼロから始まるということはない。

それ以前との断絶があるように見えても、そこには必ず、そこまでに至る歴史の流れがあり、取捨選択があり、組み換えがある。砂漠のただ中に突如生まれたようにみえるイスラームもそうだった。

イスラーム以前の時代は、イスラームによって「ジャーヒリーヤ」(無道時代)とよばれる。もちろんそれは後から付けられた名前、イスラーム時代とそれ以前を分けるために作られた概念である。もっともこれは、著者が指摘するように、客観的な時代の区分ではなく、むしろ一人ひとりの「人間」における区分だった。ある人がイスラームから見て宗教的であれば「イスラーム以後」であり、そうでなければイスラーム以前の「ジャーヒリーヤ」なのだ。

ジャーヒリーヤが意味するのは、伝統的なアラブ人の生き方である。それはある部族に属し、部族以外のいかなる権威にも屈しない、不羈独立の気魄をもった高貴なる砂漠の男の生きざまであった(いや~、カッコいい!)。自尊自立を旨とする誇り高きアラブ人にとって、神の権威への絶対服従を求めるイスラームなど「下賤な人間の卑屈さ以外のなにものでもなかった(p.133)」

イスラームとは、自分自身を絶対無条件的に神に引き渡すことであった。そもそも「イスラーム」とは「自分の大事な所有物を他人の手に引き渡す」という意味をもつ。この語自体はジャーヒリーヤにもあり、語義どおりに使われていたが、ムハンマドはこの「所有物」を自分自身であると考え、自分自身を、モノを差し出すようにして神に差し出すことをイスラームと言ったのだ。それはつまり、人が神の「奴隷」になることにほかならなかった。

自尊自立のジャーヒリーヤから、神の奴隷のイスラームへの転換は、まさに180度の垂直転換であった。だが、そんな大転換を求めるイスラームが、なぜアラブ社会を席巻し、さらには三大世界宗教の一つといわれるまでになったのか。著者が指摘するのは、アラブ人たちのきわだった現実主義である。彼らは夢の世界に遊ぶということを知らないという。すべては感覚と知覚によって捉えられる現実の中にある。だが、一歩そこからはみ出して、生の意味や死後の世界をめぐる不安を感じたとしても、それに対する回答は用意されていなかったのだ。

そこに登場したのがイスラームだった。コーランは刹那的な快楽を厳しく非難する一方、「最後の審判」などの終末論を提示し、いわば現実の「外側」の世界観を示すことができた。おそらくはそれが、現実主義の限界を感じていた若者たちに訴えるものがあったのだろう。そして、この終末論は、それまでジャーリヒーヤの人々が浸っていた快楽や放蕩を断罪するものであった。コーランにはこう書かれている。

「も一度言おうか、きっとお前たち
 その目で地獄を眺めるぞ。
 その日こそ、お前たち、
 遊びほうけてきた罪を問われるぞ」(102-1~8)

とはいえ、それだけでイスラームがこれほど短期間に定着するだろうか。やはりそこには、ジャーヒリーヤからの連続性がどこかであったとしか思えない。

例えば、アッラーという「神の名」は、それ以前の多神教時代にも存在した。というか、そもそもアッラーという言葉自体が「神」をあらわすのだが。また、ジャーリヒーヤはたしかに多神教を奉じていたが、その中にも一神教的色彩は徐々に加わっていた。ユダヤ教徒キリスト教徒はアラブ社会にもいたし、コンスタンチノープルをはじめとしたキリスト教勢力下の都市にも、アラブの知識人は訪れて影響を受けていた。こうした場合において、ユダヤ教キリスト教の「神」を言い表すアラブ語も、また「アッラー」であった。このようなカタチで、一神教への移行に向けた素地はそれなりにできつつあった、と著者は主張する。

おもしろいことに、もともとムハンマドは、新しい宗教を創始しようとは思っていなかったという。ムハンマドがもくろんだのは、たんに「アブラハムの宗教」の復活であった。そもそもアブラハムの神への絶対的帰依は「イスラーム」そのものなのだ。アブラハムこそ、人類最初のムスリムなのである。

ムハンマドはこの、原点たる「アブラハムの宗教」に回帰しようとした。ユダヤ教キリスト教によって歪曲された「永遠の宗教」をアブラハム的原形に引き戻そうとした。それが「最後の預言者」たるムハンマドに求められていることだった。イスラームとは、このような「原点回帰」の宗教だったのだ。

本書はこのような、イスラームの「はじまり」に焦点を当てつつ、その本質を浮き彫りにした一冊だ。預言者ムハンマドのエピソードなども描かれており、大変読みやすく、分かりやすい。なお本書は2部構成となっており、第1部「ムハンマド伝」が若い頃に、第2部「イスラームとは何か」がその30年後に書かれたとのこと。第2部の危なげなく的確緻密な内容もすばらしいが、第1部の、さまざまな熱い思いが行間からほとばしってくるような文章も新鮮だ。イスラーム全般への入門書としても良さそうな一冊であった。