自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1837冊目】池内恵『イスラーム国の衝撃』

 

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

 

  

イスラーム国による湯川さんと後藤さんの殺害は、ただひたすら衝撃的だった。

 

私は、事件について「語るべき言葉」をまったくもっていなかった。テレビや新聞の報道は、中には充実したものもあったけれども、ほとんどが断片的かつあまりにも「日本的」な情緒に満ちていて、かえってコトの本質から遠ざかっているように感じられた。少なくとも「イスラーム国」の内部(佐藤優なら「内在的論理」というだろう)に迫っているとは、とうてい思えなかった。

 

本書の著者は、この事件も含め、イスラーム国や中東情勢全般について、ほぼリアルタイムで、ネット上に解説を提供している(中東・イスラーム国の風姿花伝 http://chutoislam.blog.fc2.com/)。背景となる思想や歴史事情にも適度に言及しており、短い解説ながら非常に奥行きがあるスグレモノだ。本書はその著者が今年1月に放った、イスラーム国についての基礎知識をまとめた一冊。たいへんよく売れているらしい。

 

本書は、イスラーム国の伸長の要因として「思想的要因」と「政治的要因」の2つを挙げる。この2つが、本書全体を貫く、イスラーム国を読み解くカギとなっている。

 

「思想的要因」のキーワードは「グローバル・ジハード」である。ジハードとは、ここでは「アッラーの道のための(Fi Sabili Allah)という目的にかなった戦闘のことであり(p.143)、それへの参加はイスラーム教徒の義務とされている(ちなみにジハードの原義は「奮闘・努力すること」であり、もともとは「神の道のために奮闘・努力すること」を意味するという(ウィキペディア))。直接ジハードを行う者をムハージルーン、それを支援する者をアンサールと呼ぶ。

 

グローバル・ジハードとは、まさに言葉のとおり、こうしたジハード運動が世界規模に拡大したものである。911を引き起こしたアル=カーイダのような国際テロ組織が代表的だ。

 

厄介なのは、アル=カーイダ系とみられる組織によるテロ活動が、必ずしも組織的な活動として行われていないという点だ。テロリストたちは、まずテロなどの作戦行動を自ら(独断で)行った上で、いわばその成果を手土産に、アル=カーイダに忠誠を誓うのである。こうしたゆるやかで自律的な広がり方は「フランチャイズ化」と表現される。グローバル・ジハードには、このような「指導者なき」散発的なテロ活動と、従来型の組織的テロが混在している。イスラーム国のルーツは、こうしたアル=カーイダ系のテロ組織にあるという。

 

一方、「政治的要因」として著者が挙げるのがアラブの春である。あの民主化運動は、確かに既成の抑圧的な政権を打倒し、あるいは弱体化させた。だが問題は、チュニジアのようなケースを除き、それまでの政権に代わる安定的な制度と体制がつくられず、いわば「蓋は外れたが、代わりの蓋は見つからなかった」状態になってしまったことだ。

 

その結果、それまで政権によって抑圧されてきたイスラーム主義過激派勢力が表に出てくる環境が整ってしまった。さらに、特に辺境地域への統治の手が弱まったことで「統治されない空間」が生じ、過激派の活動の温床となった。イスラーム国もまた、こうした空白地帯を活動の基盤として伸長したのである。なんとも皮肉な話だが、民主化を目指した「アラブの春」が、かえって非民主勢力の極致ともいえるイスラーム国を育ててしまったことになる(なお現在のイスラーム国の占領地域は、スンニー派が多いイラク北部、内戦で壊滅状態のシリア)。

 

こうした要素があいまって「テロ組織」であって「領域支配」を行うという、世にもまれな「テロ国家」が出来上がったのである。ここでそもそも「イスラーム国は国家かどうか」ということを考えだすと、そもそも国家とは何ぞや、という大問題になってしまうので、そのことはここでは取り上げない。ただ一つだけ言えば、イスラーム国の残虐性や、処刑映像を流すような「メディア戦略」は、ある意味で国家の本質にあって隠されているものをさらけ出したにすぎない。地球上のどこでも、国家の本質は暴力の独占であり、国家の表出がプロパガンダであるとすれば、イスラーム国はみごとにその両者を満たしていることになる。

 

ちなみに本書は、イスラーム国によるメディア戦略を詳細に読み解いているのだが、これもまた、驚かされることばかりだった。例えば人質が着せられている囚人服がオレンジ色なのは、グアンタナモ基地やアブー・グレイブ刑務所でアラブ人やイスラーム教徒が着せられていたのと同じ色であるという。つまりこの「オレンジ色」には、グアンタナモやアブー・グレイブでイスラーム教徒が味わった屈辱に対して留飲を下げることでイスラーム教徒の支持を得るとともに、欧米側に対しては、処刑を欧米側の行為に対する報復であるとして正当化するという意味をもつことになる。

 

本書は新書ではあるが、イスラーム国の来歴から思想的背景、イスラームの教えとの関係など、他にもたくさんのテーマを盛り込んだ密度の濃い一冊である。何より、イスラーム国をいたずらに過大評価も過小評価もせず、プロの目でバランスよく「見極め」をつけていることが素晴らしい。よく売れていることが納得できる充実の内容であった。