自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1831冊目】エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤』

完璧な赤―「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語

完璧な赤―「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語

手に取って、まずびっくりするのは表紙のデザイン。なんじゃこりゃ。

だが、中味はけっこう本格的で、しかもたいへんおもしろい。戦争や疫病、宗教などの切り口で歴史を語った本は多いが、「色」というアプローチがあったのか、と驚かされる。なんと本書は、「赤」という色をめぐり、大西洋をまたいで繰り広げられた歴史のドラマを描いた一冊なのだ。

そもそも「赤」のもつ意味は、古来から実にさまざまであった。「強い力と特権」を意味する一方、血の色からの連想で「戦争」が暗示された。さらに、赤いマントは血痕を隠して不死身と思わせることができると、古代ギリシアのスパルタ人は考えたという。そうかと思えば「この世のものではない力のしるし」ともされた。キリスト教では「聖霊降誕の火とキリストの血のしるし」というイメージがあてはめられた。

赤こそは(帝王紫ほどではないが)、色の中の色であり、王の色、力と威光を示す色だった。そして、赤がこれほどまでに力の象徴とされたひとつの理由は、赤い染料が少なかった、というミもフタもない現実にあった。植物から取り出す技術はあったものの、色が褪せやすかったり、色を取り出すのに複雑な工程が必要だったりしたのだ。

そんな中、「完璧な赤」をもたらした革命的な染料があった。それが本書の「主人公」、コチニールである。

コチニールカイガラムシの一種である。ウチワサボテンを食べ、雄は羽をもち移動するが、雌は一生サボテンにしがみつき、汁を吸って過ごす。メキシコに生息し、アステカ帝国ではすでに染料として活用されていた。コチニールから引き出された鮮烈な赤は古代メキシコのいたるところを飾り、そしてスペインからやってきた侵略者、コルテスの目にとまったのである。

こうしてコチニールをめぐる、まさに「血の歴史」が幕を開けた。コルテスらスペインの「コンキスタドール(征服者)」による苛酷な植民地支配と収奪を経て、まずはスペインが「完璧な赤」のレシピを独占した。

もっとも、コチニール飼育がメキシコの先住民を救った面もあったという。熟練した技術を要するコチニール飼育には、他の場合のような強引で力づくのやり方よりも、自発的な取引によって生産量を押し上げるほうが効率的だったのだ。こうして導入されたのがコチニール信用貸付制度だった。この制度はスペインの役人や商人にとっても、そして先住民たちにとってもメリットが大きかった。

「16世紀半ばには、スペインによる支配と旧世界から持ちこまれた病気という二重の打撃により、先住民の共同体の多くが崩壊しつつあった。文化そのものが消えかかっていた。しかし、コチニールを飼育していた地域 ― 一族が離れ離れにならずに生計を立てることができた地域 ― では、そうした重圧に耐えうる驚異的な力を持っていた。コチニールを育てていた村々では、言語や伝統、文化を何百年にもわたって守りつづけることができた。コチニールの主産地であるオアハカが、今日でもメキシコ随一の多様な文化や言語を誇る州なのはそのためだ」(p.136)


「色」をめぐるヨーロッパ人の欲望がかえって先住民の生活と文化を守ったとは何とも皮肉な話だが、一方、スペインと他のヨーロッパ諸国の間には、コチニールの秘密をめぐるバトルが繰り広げられた。海賊を仕立ててスペイン船を襲うこともあれば、スパイを潜り込ませて生きたコチニールを盗み出そうとしたケースもあった(とりわけ、フランス人ティエリーのメキシコ侵入は、映画にしたくなるようなドラマチックでスリリングなものだ)。オランダ、イングランド、フランスなど、様々な国が、コチニールのもたらす「完璧な赤」の秘密をこぞって手に入れたがった。

しかし、結局、スペインに致命的な打撃を与えたのは、なんとはるか後世に登場した、一人の10代のイギリス人青年だった。彼、ウィリアム・ヘンリー・パーキンは、石炭を原料とした合成染料を発明したのだ。そして、ドイツがこれを本格的に産業化した。20世紀初頭、化学工業を完全に牛耳っていたドイツは、染料の供給をほぼ独占し、しかも毒ガス製造までを推し進めたという。その影響が大きく現れたのが第一次世界大戦だった。

これでコチニールはお役御免となったかと思えば、さにあらず。合成染料の安全性が問題視される中、コチニールはふたたび復活する。今でもコチニールは自然由来の染料として、繊維や食品、化粧品などさまざまな用途に使われているという。もっともその頃には、「赤」の魔力はすでに衰えていた。染料が安価に手に入り、庶民が簡単に赤い服を着ることができるようになったため、すでに赤は王の色ではなくなっていたのだ。いや、そもそも権威を示すべき「王」そのものが、すでにいなくなっていた。

赤がどんなに珍重されようと、所詮は「服の色」の問題にすぎないではないか……と、読む前は考えていたのだが、本書を読むと、そうした考えは改めざるを得なくなる。むしろそうした色に込められた「意味」が、歴史を動かし、社会を変えていくのだ。本書は、そんな「歴史の醍醐味」を、赤という「色」を軸に解き明かした希有の一冊だ。