自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1830冊目】大木雅夫『日本人の法観念』

日本人の法観念―西洋的法観念との比較

日本人の法観念―西洋的法観念との比較

孔子は「これを導くに政を以てし、これを斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格(ただ)し」と説いた。「法令禁制によって人民に行為の基準を示し、違反者を刑罰によって懲戒し統制しようとしても、人民は法網をくぐりぬけて恥ずかしいとも思わないが、為政者が自ら徳によって人民に模範を垂れ、礼を実践させることによって人の道に反しないようにさせれば、人々は恥を知り、善をおこなうようになる」という意味だ。日本でも、十七条の憲法は第一条で「和を以て貴しとなし、忤(さか)らうことなきを宗とせよ」と書いた。川島武宜は「伝統的に日本人には『権利』の観念が欠けている」と指摘し、日本人の規範意識は義務本位の観念によって培われたものであると論じた。

だが、本当に日本人や中国人の法意識は、欧米人の法意識とそんなに隔たっているものだろうか。本書はそのことを、一方では西洋の「法の支配」「法治主義」の歴史を紐解きつつ、もう一方では中国や日本の歴史から法意識をめぐる考察を行い、批判・検証する一冊だ。

確かに西洋では、歴史の紆余曲折を経て鍛えられた「法の神聖視に基づく法の支配の理想や、それと裏腹をなす法のための闘争の義務」が法を基礎づけている。だが中国でも、儒家徳治主義を説いたものの、一方では法による支配を強烈に推進した「法家」の存在があった。法家の代表的思想家、韓非は「信賞必罰こそ万民の精励をもたらしうるものであるから、その基準になる法は、一定不変のものとして民衆に知らせるべきであり、しかも民間による毀誉をもって制裁に代えず、積極的に国家的秩序としての賞罰の法を厳格に適用せよ」(p.129)と主張したという。

著者も指摘するとおり、これはすでに一種の法治主義の萌芽である。そして、法家思想は春秋戦国時代で滅んだわけではなく、儒教道教、その後に入ってきた仏教などとも混ざり合いながら、現代にまで至っている、と著者は言う。「徳治主義」ばかりがクローズアップされる儒教偏重の風潮を、著者は厳しく批判している。

日本はどうか。ここでも著者は、日本人に権利意識がなかっただの、法観念が乏しいだのといった「通説」に対して反論する。

日本の「法令史」は憲法十七条、大宝律令養老律令に遡るが、著者がまず着目するのは、もうすこし下った鎌倉時代。特に、北条泰時の制定した御成敗式目に、著者は「わが国における「法の支配」の原基ないし胚種」をみる。

なぜなら、第一にここで「倫理的判断を超越した法の観念が定立」された。第二に「文盲にもあらかじめ分かるように、しかも処分も一貫した方針で公平に行われるように」制定された。つまり「恣意的な裁判の抑制と処分の一貫性」が図られ、しかもそれがひろく普及した。第三に「法の前の平等」が徹底された。訴訟の審理にあたっては「ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞を出すべきなり」とされ、時の執権泰時自身でさえ、弟との土地をめぐる争いにあたって「弟のほうに道理がある」と認め、自ら弟に勝訴判決を言い渡したことがあったという(さすがに「忌避」の制度はまだなかったんですね)。

さらに鎌倉時代には、なんと民事訴訟制度が発展した。鎌倉武士による土地の私有化が進むにつれ、所領に関する権利意識が高まったためだ。司法制度も整備された。ただし、問題もあった。訴訟費用が著しく高かったのである。そのため実際には「和与」と呼ばれる和解による終結が多かったという。

さらに著者は、室町〜江戸時代の法制度について論じていく。徳政令、喧嘩両成敗法など、一見「日本独特」と見える制度のからくりを明かし、その意外な合理性を示していくプロセスはたいへんおもしろい。なかでも重要と思われるのが、江戸時代に頻繁に発せられた「借金銀相対済令」である。

これはなんと「金銭貸借の訴えを受理しない」というとんでもない法令であって、事実上の借金棒引き法であった。だがこの一見ムチャクチャな法令の裏側にあるロジックを読むと、ただただ唸らざるをえない。

つまりこういうことだ。江戸時代は、ご存知の通り、とにかく武士階級が揃って貧乏な時代だった。なにしろ200年にわたって家禄(給料)が据え置かれたのだ。貰っている扶持だけでは到底食っていけないから、武士たちは内職に励み、それでもダメだと借金をした。大名すら(いやむしろ、家格を維持しなければならない大名こそ)借金で首の回らないありさまで、長州藩など収入の3年分にあたる大借金をこさえていたらしい。

こうなってくると、必然的に借りた金を返せなくなる武士もたくさん出てくる。返済を求める訴訟も増え、本書によれば、享保三年の訴訟のうち相手方があるもの(公事)は35,750件、そのうち33,037件が金公事(金銭訴訟)であったという。

もうお分かりかと思うが、「借金銀相対済令」のねらいは、こうした膨大な訴訟の抑制と、困窮にあえぐ武士階級の救済(その背後にはおそらく、そうした困窮状態に武士をおいているのが幕府自身であるという自覚もあったのだろう)にあった。金を貸した方にしてみればたまったものではないが、これについては「身分制社会にありながら分をわきまえず裕福な生活を楽しみ奢侈に耽る札差しや大名貸の方がはるかに不遜横暴」ということで片づけられたようである。

それよりここで重要なのは、鎌倉時代の武士にせよ、江戸時代の商人にせよ、当時は権利という言葉はなかったものの、まさに権利を主張し訴訟を起こそうとする意識はしっかりともっていたということなのだ。農民にしても、度重なる一揆をみてもわかるように、決して「義務本位の観念」ばかりではなかったことを、著者はさまざまな根拠をもとに論じている。

むしろ問題は、鎌倉時代の訴訟費用にせよ、江戸時代の訴訟禁止令にせよ、司法制度の側が訴訟を切り捨てていたということのほうなのだ(ちなみに中国でも同じような傾向がみられるという)。だから著者は、西洋と日本・中国の違いは、法意識や権利意識ではなく、それを受け止めるべき「制度」の問題なのだ、と指摘するのである。

さて、ひるがえって現代はどうか。本書が書かれたのは1983年と、なんと30年前のことなので、著者の指摘が今でもあてはまるかどうか、最近のデータを調べてみた。

それによると、人口10万人あたりの法曹人口はアメリカ388.68、イギリス240.06、ドイツ221.81、フランス95.17に対して日本は30.15(簡裁判事・副検事もカウントして)。ちなみに韓国は36.74だ。裁判官ではアメリカ10.43、イギリス6.75、ドイツ24.97、フランス9.08、韓国5.37、日本2.88。検察官、弁護士についても同じようなデータが並んでいる。

これに対して、日本にはいわゆる隣接法律専門職(司法書士弁理士、税理士など)がいるという指摘もあるが、裁判官の数の少なさはそれだけでは説明できまい。著者は「わが国の司法制度は破産に陥る危険がある」「裁判官にとって人権問題である」と書いている。繰り返すが、30年前の指摘である。

こうしたお寒い実情をカムフラージュするのが「日本人は権利意識が低いから訴訟件数が少ない」「日本人は西洋的な訴訟社会にはなじまない」といった主張であると考えるのは、少し意地悪に過ぎるだろうか。だが、著者も書いているとおり、そもそも訴訟件数の少なさの一因は「司法組織の弱体なわが国の伝統の延長」にある「裁判所に対する不信感」なのである。一般の人々が訴訟を回避する原因として挙げている理由を調べると、「裁判所は信用できない」「費用倒れになる」などの回答が、「法律で白黒つけるべきではない」「世間から白い眼でみられる」などの「伝統的法意識面」に即した回答の約3倍にのぼったという。

こうした論証を積み重ねた上での「わたくし自身は、はなはだ把握し難い「国民の法意識」よりも、明々白々たる「国家の司法制度」の方により大きな問題があると思う」(p.245)という結論には、たいへんな説得力がある。

ちなみに、ここでは紹介できなかったが、著者は西洋の「法の支配」の成り立ちについても、歴史を俯瞰しつつ、たいへんわかりやすい論考を展開している。本書の結論がすべてだとは思わないが、一読の価値ありの良書であった。