自治体職員の読書ノート

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【1829冊目】浅田次郎『赤猫異聞』

赤猫異聞

赤猫異聞

う〜ん、やっぱり巧い。久しぶりの浅田次郎だったが、やっぱりこの人は、小説の「手練れ」だ。

考えてみれば、それほどものすごい筋書きじゃないのである。ラストの語り手にはちょっとびっくりしたが、それ以外は途中から先読みができてしまうし、肝心の「3人ともが戻ってきたか」も、別段予想を裏切るような展開が待っているワケじゃない。

しかしそれでも、否応なく一気読みさせられる「語りの技」が素晴らしい。5人の人物からの聞き取りという体裁で物語が進んでいくが、一癖も二癖もある連中の人物の奥行きを出しつつ、自在に緩急をつけての語りに酔わされる。先をすぐ見せずに小出しにしていく手際も鮮やかで、どんどん先が読みたくなるようになっている。

舞台の設えもお見事だ。「御一新」で主が将軍様から天朝様に変わったばかりの明治元年の江戸の町。時代劇でおなじみの伝馬町の牢屋敷では、今にも一人の男が首をはねられようとしていた。まさに刀を振り下ろそうとしたその時、鳴り響く早鐘の音。喧嘩と並ぶ江戸の華、火事を知らせるその音は、罪人たちにとっては天佑だった。

江戸には、火事の際には牢に囚われた罪人たちを一時解放する「解き放ち」という風習があった。いくら罪人でも牢の中で逃げも出来ずに蒸し焼きとなるのは後生が悪い。そのためいったんは罪人たちを逃がすのだ。ただし、鎮火の折に戻った者は罪一等を減じる。戻らなかった者は草の根分けても探し出して磔獄門……

この「解き放ち」に着目したのがいかにも浅田次郎らしい。しかも、そこにあえていくつもの「ひねり」を加えた。囚人の中でも重罪人の3人が最後まで残される。牢名主にして深川の侠客、信州無宿繁松。旗本の血を引く侍で、幕府敗れて後は闇にまぎれて官兵を斬りまくっていた岩瀬七之丞。江戸三大美女の一人と謳われ、夜鷹の頭目として知らぬ者はない白魚のお仙。

いずれも解き放つといろいろ面倒な御仁ばかり、いっそここで斬ってしまおうかと物騒な話にもなりかかったが、そこを諌めたのが御鍵役同心、丸山小兵衛。道理を説いていったんは「解き放ち」が決まったものの、面倒な条件がついた。鎮火の後、3人とも戻れば無罪放免。一人でも帰らなければ、帰った者も死罪。誰も帰らなければ、丸山小兵衛が責任を取って腹を切る。

これ、「囚人のジレンマ」の変形版だ。共犯者と別々の独房に閉じこめられ、二人とも黙秘したら二人とも懲役2年、一人だけ自白したら自白したほうは釈放、自白しなかったほうは懲役10年、二人とも自白したら二人とも懲役5年、という例のヤツだ。誰かが裏切れば、信じた者が最悪の目を見る。

さて、それぞれに事情を抱えて「解き放ち」となった3人がどうなったか、というのがこの物語の最大の眼目であるのだが、その結果は、まあたいがい予想がつくであろう。だいたい、事件がすべて終わった後の聞き取りという体裁なのだから、そこに意外性を求める方に無理がある。

むしろ読みどころは、その裏側で動いていた「もうひとつのシナリオ」のほうだ。これを隠しつつ「チラ見」させて読み手をそそるのが作者の技量なのだが、これが極上なのは先ほど書いたとおり。最高の舞台、最高のキャラを十二分に活かした、浅田次郎の名講談。夢中になって堪能した。