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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1817冊目】イアン・マキューアン『初夜』

せつなさ・いとおしさ・なつかしさ

初夜 (新潮クレスト・ブックス)

初夜 (新潮クレスト・ブックス)

原題は「On Chesil Beach」だが、これは邦訳のほうがぴったりだ。まさにこの小説は、新婚夫婦の「初夜」を、ただそれだけを描いた一冊なのだから。

しかし「初夜」なんて、いまどき時代錯誤なんじゃないかと思った「あなた」は、その時点で著者の術中にハマっている。確かに物語の時代設定は1962年と、「結婚までは処女・童貞」が当たり前とまではいかないが、いわゆる「性の解放」よりはちょっと前。新婚夫婦が初めてセックスをするのが結婚式の夜、というのも、まあありうる話ではある。しかし本書に隠されたたくらみは、それ以上に深い。

エドワードとフローレンスの最初の一夜に起きたことは、ひとことで言ってしまえば「失敗」だ。だがその失敗が、二人の間にもやもやとわだかまっていた違和感や伏せられた感情を露わにしてしまい、よりひどい致命傷につながっていく。

わかったようなことを言うようで恐縮だが、夫婦間の「この手の」失敗は、してしまったかどうかよりも、それを相手が赦せるかどうかが問題なのだと思う。だがそのことが分かるには、本書の二人は若すぎ、ナイーブすぎた。

特にエドワードは、フローレンスのセックスに対する複雑な感情を受け止めるには、あまりにも「フツーの男」だった。それを誰が責められるだろうか? 結婚最初の夜をずっと楽しみにし、1週間もマスターベーションさえガマンしていたのに、いざフタを開けてみれば……となってしまった若い男に、これ以上の何が望めるだろうか。

それが分かっているだけに、「初夜」の後を綴る本書のラストは、苦くせつない。若い日々の失敗は、たいていは大したことはないが、それでも時々、生涯引きずるような傷を心に負わせる。本書の、特にエドワードの「その後」は、まさにそれがあてはまる。外見的には充実した人生を送っているように見えても、エドワードの人生は、あのチェジル・ビーチから一歩も進めていないのだ。

新婚夫婦のセックスという、ある意味やたらになまめかしく思わせぶりな「主題」を中心に置いているわりに、本書は実は乾いた夜風のようにさわやかな小説だ。特にその文章がすばらしい。翻訳も流麗でたいへん読みやすい。映画化してほしい気もするが、う〜ん、さすがにこの内容じゃ無理かな……