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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1816冊目】谷川俊太郎『詩を書くということ』

NHKの「100年インタビュー」という番組を書籍化したものらしい。谷川氏へのインタビューに加え、詩の朗読があったり、小室等が登場して谷川氏の詩を歌ったり、会場からの質問に答えたりと、いろいろ盛りだくさんの一冊となっている。

読んでいて思ったのは、谷川氏は「プロの詩人」なのだなあ、ということ。なんといっても、自分の詩作を「受注生産」と言い切るあたりが面白い。注文には、いろんな条件や枠組みがある。そこを満たしてなおかつ、出来上がってくる詩は「谷川俊太郎の詩」なのである。

だが、あの豊かな言葉はどこから引き出されてくるのか。興味深いのは、ある時期から「自分の中に言葉がある」と思わなくなった、というくだり。谷川氏は、言語や言葉を意識するようになってから、「自分の中の言葉がすごく貧しい」と思うようになったという。だから自分の中から言葉を探すのをやめて、外にひろがる巨大な世界から言葉を拾ってくるようになった、と。だがそのためには、自分の中の言葉をいったん追い出す必要がある。

「僕も書こうとしているときは、できるだけ自分を空っぽにしようと思っているんです。空っぽにすると言葉が入ってくる。そうじゃなくて、自分の中に言葉がいると、ついそういう決まり文句なんかに引きずられるわけだけど、できるだけ空っぽにしていると、思いがけない言葉が入ってくる、そんな感じですね。呼吸法と似ていますね、多分」(p.46-7)


この「呼吸法」とは、谷川氏が毎朝やっている健康法らしい。「できるだけ早く吸って、できるだけゆっくり吐く」のだが、ポイントは「吐くことから始める」こと。なるほど、これは意味深だ。コップに汲んだ水の例えがよくあるが、まずは自分を「空ける」ことが大事なのだ。そうすれば、空いた部分に酸素とか、言葉とかが入ってくる。

言葉を「不自由なもの」と語るあたりも、言葉をもっとも繊細につかう詩人の言うことだけにおもしろい。谷川氏は、言葉よりも音楽が好きだという。それも「音楽に意味がないからいい」そうだ。

言葉はどうしても意味に囚われ、縛られる。だから谷川氏は、できるだけそこから言葉を解き放とうとする。朗読も、擬声語や擬音語、オノマトペのようなものも、結局は意味以外のところで言葉を遊ばせよう、全身感覚のようなところで言葉を感じさせるようにしよう、ということなのだろう。「最初から言葉を信用していない」「詩も信用していない」と谷川氏は語るが、だからこそああいう詩が書けるのかもしれない。

「僕は絶対、言葉ってものは本当に不自由なものだと思っていますね。
 言葉って矛盾を嫌うでしょ? でも現実は矛盾してなきゃ現実じゃないんですよ。それを言葉は表現できない。だから言葉に頼るのは、とても人間の現実を見失わせる可能性があると思って、気をつけないといけないなと思いますね」(p.123)


だから谷川氏は、意味以外、言葉以外の部分が「ある」ことを強調する。それは無意味ということでもある。「無意味の実感」というコトバが出てくるが、谷川氏の詩にときどき感じる「凄み」のようなものは、言葉の彼岸、意味の彼岸にギリギリまで近づきつつ、詩を書いているからなのかもしれない。このインタビューを読んで、そんなことを強く感じた。

「とは言うものの君ら抜きの未来は明るい
もう私は私に未練がないから
迷わずに私を忘れて
泥に溶けよう空に消えよう
言葉なきものたちの仲間になろう」


これは、「さようなら」という詩の最後の一連だ。自分の肝臓や心臓、目や耳に別れのあいさつをする奇妙な詩だが、ラストのこの一連がすばらしい。言葉を使いつつ、言葉の「キワ」に達している爽快さがある。

それにしても、谷川俊太郎の詩って、改めて読むとやっぱりスゴイ。小さな子どもにもまっすぐ届き、同時に、大人のくたびれた心を震わせる。この本を読んで、その秘密の一端がここで分かったとは言わないが、何か大きなヒントをもらったような気がした。