自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1812冊目】アルフレッド・ヒッチコック/フランソワ・トリュフォー『映画術』

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー

映画本10冊目は、トリュフォーによるヒッチコックのインタビューという「ドリーム・タッグ」の一冊。

それにしても、名監督トリュフォーが、これほどまでにヒッチコックをリスペクトしているとは知らなかった。

年齢では、ヒッチコックが30年ちょっと上。50時間にも及ぶインタビューが行われたのは1962年だから、ヒッチコックが63歳の大御所クラス、トリュフォーが30歳の若手監督という位置づけだ。とはいえトリュフォーは、年齢が上だというだけでヒッチコックを立てているワケではない。本書を読めばすぐわかるように、とにかくヒッチコックの映画にぞっこんなのである。

フランスのヌーヴェルヴァーグを牽引したトリュフォーと、サスペンス映画の巨匠でありどちらかといえば「色モノ」系のヒッチコックの取り合わせも面白いが、なんといっても圧巻は、トリュフォーによって引き出されるヒッチコックの「映画術」だ。映画を撮る人は必読、観る人も知っておくと楽しめるネタが満載で、ヒッチコックの映画を観直してみたくなること請け合いだ。

ということで、以下、私が気になったところをざっと引用してみる。それ以外に、本書への論評はいらないだろう。ちなみに言葉の主は、最後のひとつ以外はヒッチコックのもの。

「わたしたちは、映画のシナリオを書くときに、まず、台詞と視覚的な要素をはっきりと区分し、つねに、できるかぎり台詞にたよらずに、視覚的なものだけで勝負することがかんじんだ。どんなふうに話を運ぶにせよ、最終的に観客が息をのむところまで確実に持っていかなければならないからだ」(p.50)

「つまり、結論としては、どんなときでもできるだけ観客には状況を知らせるべきだということだ。サプライズをひねって用いている場合、つまり思いがけない結末が話の頂点になっている場合をのぞけば、観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ」(p.61)

「ストーリー・テラーにストーリーの〈らしさ〉を要求するなんてことは、具象派の画家に物を正確に厳密に描くことを要求するのと同じくらいばかげたことだよ。そんなことになれば、具象派の絵画の極致は、カラー写真ということになってしまうじゃないか。そうじゃないかね?」(p.88)

「観客の心をしっかりと掌中におさめていれば、観客は映画といっしょに考えてくれるので、ハッピーエンドがいらない場合もありうる。ただ、その場合には映画の体内にたっぷりエンタテインメントの滋養分をあたえてやらなければならない」(p.93)

「わたしが思うに、映画俳優にとって必要欠くべからざる条件は、ただもう、何もしないことだ。演技なんかしないこと、何もうまくやったりしないこと。そして、とにかく、できるだけ柔軟性のある動きができること」(p.100)

「映画づくりの鉄則は、迷いが生じたら、どんなことがあっても、すぐ確実な地点へ戻ってやり直す(run for cover)ことだ」(p.185)

「何かを表現するためにスクリーンに映像をつらねるときには、けっして事実にわずらわされてはならないということ。いかなる場合にも、あくまでも映画的な手法を正しく使うことによってのみ、自分の求めたもの、頭に描いていたすべてのイメージを、獲得できる。自分の求めていたイメージと寸分たがわぬイメージを生みだすことこそ、映画作家の夢だ」(p.274)

「主題なんか、どうでもいい。演技なんか、どうでもいい。大事なことは、映画のさまざまなディテールが、映像が、音響が、純粋に技術的な要素のすべてが、観客に悲鳴をあげさせるに至ったということだ」(p.288)

トリュフォー)「ミスター・ヒッチコック、思うに、あなたの方法論は、およそ文学的な発想とは正反対であり、徹底して純粋に映画的なのです。あなたは空白に魅惑され、その空白をイメージでいっぱいにしようとするのです。映画館が空席だらけなら、観客でいっぱいにしようとする。スクリーンが空白なら、イメージでいっぱいにしようとする。あなたの発想は、いつも、中味ではなく、入れ物のほうなのです」(p.329)